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楽園のような

角田侑右弐(アーティスト・珈琲屋)
1990年~1995年在籍

セツ・モードセミナーを卒業して、そしてゲリラ、研究科を終えて20年以上経ちました。
 はて!?長沢節先生との関係を何か憶えているかと思い出そうとしましたが、ちっとも憶えていないのです。
 最近実家の大掃除をしていて、丁度セツに通っていた卒業辺りからゲリラになった辺りの日記が出てきたのですが、読んでみると、まぁ節先生や星先生に対してひどい事書いていて、いやぁ参ったなって感じなのです。
 それだけ絵を描く事に真剣だったのかも知れません。

それでも、ちょっとずつ思い出していくと、そう言えば節先生と星先生と気軽に話すこともなく、モデルをやって休憩中にコーヒーを飲んでいたら隣に節先生が座ってきても、黙って2人でいる事もよくありました。
 ファッション科にも入っていたので殆どの毎日行っていた5年間でした。
 余程居心地良かったのですね。
 あのセツでの過ごした日々はお宝の様な、楽園の様な場所と時間と人間関係でした。
 思い返してみると学校を離れて、その空気感、環境を作るのに必死だった20年かも知れません。

今、アートの町って言われている相模原市の藤野地区に住んで、その20年前に思い描いた未来像に近い地域環境で、毎年星先生とかセツの人とか、地元の人とかと写生会をして、一歩ずづその空気感に近づいているのかも知れません。

今年の4月に星先生と2人展をさせていただける機会があり、2枚別々のDMを作ったのですが、2つの絵を並べてみたら、思っていた以上に同じ系統だったのです。
 なんだかとっても嬉しかった。
 まぁ無理に思い出さなくても良いかなと…。

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  1. 星信郎 より:

    20年前の角田君の日記、それは気になる。きっと悪口たくさん書いてありそうだ。
    ぼくは20年前、新宿で角田君とばったり会った。そのとき角田君は新宿からセツまで約4キロ歩いて通ってるということだった。 それなら僕もと二人で並んで歩いたのだが、長身の角田君の脚のコンパス長くてね、僕はたいへんだったよあの時は。

    セツ先生の肖像、しみじみと美しい色と線、カッコつけないのが角田君らしい。なるほどセツ先生にはこんな一面もあったように思いてくる。

    角田君また一緒にあるこうね、今度はゆっくり、ゆっくりとね。

    • 角田 侑右弐 より:

      星先生
      コメントありがとうございます。
      新宿から一緒に歩いた事なんてありましたっけ!?
      セツに通ってた間お金なかったので、都営新宿線代を浮かせる為歩いて行ってたんです。途中の公園でおにぎり食べながら。図書館寄りながら。

      節先生の絵、描くの難しいですね。今回何も見ず描いても良かったのですが、福ちゃんの写真をちょっとだけ参考にさせて頂きました。なるべく普段の絵描きたかったのです。
      絵の話は9月の写生会の時詳しくしましょう。

      そんな事言って今は星先生の方が歩くの速いじゃないですか!
      それよりどこか写生旅行行きましょうよ、パリとかね。

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