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続・裸体モデル誕生

渡部倫枝②(イラストレーター)
1989年~1991年在籍

いよいよデビューの日。午前部の明るい日が差し込むCアトリエに、少し遅れてセツ先生が入ってらっしゃいました。ポーズ中、バタン!と大きくドアが閉まる音と同時に「うわあ!!かあーっこイイーー!!!」と、でかい声が響きました。
 愛用の画材ワゴンから画用紙と画板を掴んだ先生は、先に描いている☆先生の横に滑り込んで「ねえ、このモデルさん誰?こんな人、北村に居た?」と、でっかい声でひそひそ話(笑)。ポーズで後ろ向きだった私にも丸聞こえです。北村というのは、セツがよくオーダーしている裸体モデルさんの美術モデルクラブです。☆先生は小さな声で囁きます。「だから、この人は生徒の…ごにょごにょ」セツ先生はいつもどおり6~7分で描きあげると、着彩を施した絵を黒板にどんどん貼りました。初めて、描いていただいたデッサンがズラリ。

うわー…自分じゃないみたい。。。凄い!デッサンの達人とはデフォルメの達人でもあります。どれもこれも、なんてカッコいいんでしょう!コーヒーブレイクになりました。カウンターに寄りかかりながら、H先生がセツ先生に「ホラ、だから私が言ったのはこの人よ…」とちょっとトクイそう(笑)。「コスチュームにどうかって思ったのに」とおっしゃるのを聞いて、セツ先生は「いいよ!オマエ、カッコいいから、コスチュームもやんな!!」。
 こうして、セツではヌード、コスチューム、FIエスキースと、いろんなモデルをさせていただくことになりました。裸体では、デビューの日にも身に着けていた黒いチョーカーとヒールを欠かしませんでした。25年間でチョーカー忘れたのは3回だけかな?(笑)。

これらは、セツ先生に「そんなの、とっちゃいな」と言われたことがなかったのです。先生は、気に入らなければ着衣モデルのスカーフでも外させるのですが。私のヒールは、必ず、指(つま先)と踵が見えるものを履きました。ミュールやサンダルやサボ…いろんなのありましたが、ブーツ以外で、指と踵が見えない靴は野暮ったくて嫌いなのです。そんな私の妙なこだわりも先生は黙認してくださいました。
 裸体なのになぜ靴をはいたか?それは私の足が薄く幅が狭く偏平足で土踏まずのないかっこ悪い足だったからです。たまに裸足にもなります今でも、ここはコンプレックスです。
 他にも、裸体モデルが「さっきまで服や下着を着ていました」といったナマナマしさが出るのが大嫌いなので、休憩着というものを着たことがありません。昔から暑がりで、裸でもちっとも寒くないというのもありますが、脱いだ人間のナマさ加減が苦手でした。まー、どうでもいい変なコダワリですが(笑)。

ポーズがモデル任せなのはもちろんでしたが、セツでは特にモデルを大事にしてくださいました。尊重されていました。生徒で描いているときには気づかないことでしたが、先生は本当にモデルをよく気遣って大切にしてくださいました。画材として、最高のモデルが不可欠ということを先生は、よくご存じでいらっしゃいました。ある時期、他の学校やアトリエや教室でもモデルをしましたし、写真家や、お店やショウや雑誌のモデルをしたりもしましたが、セツでのモデルが一番好きでした。
 先生が亡くなるまでの10年間をご一緒させていただくことができましたが、描いていただいた作品はどれもが宝物のような思い出です。よいポーズをとると、必ず先生はモデルを褒めてくださり、辛いポーズもますます頑張ることができました。週6日、年間、ものすごい枚数のデッサンを描いていた先生でしたが、サインが入るものは本当に気に入ったデッサンだけでした。描きあがって、その場でサインを入れてもらえた時は本当に嬉しく、反対に、サインが入らずに終わるポーズのときは大いに反省したものでした。

先生に喜んでもらいたい、そう思うと衣装もポーズも小物も工夫してアトリエに臨みました。ある日、セツ先生が事務所から出ていらっしゃり、たまたまロビーに居た私に「セツでは今、オマエのギャラが一番高いよ!」とおっしゃいました。ギャラが毎回上がっていくのはふつうなのかな?とよくわかっていなかったので、短期間でこういうことを言われたのは驚いたのですが「だから、頑張んな!」と言われ、嬉しくなりました。正直、ギャラの額はどうでもよかったです。

(つづく)
 

6 Comments | RSS

  1. 星信郎 より:

    あれあれ!絵の中にぼくらしき人物も、もう既に白髪ではあるが、まだたっぷりふさふさおつむで。
    セツ先生はいつもちよっとだけ遅れてアトリエに入る、そしてお茶目なひと言、そんな様子が蘇って懐かしい。
    先生のモデル崇拝は甚しかったですね、モデルは先生にとってカミサマだったらしい。
    自分で描いたデッサンをぜんぶ張って見せ「かっこいい」と自分で褒めていた、しかしそれは
    モデルさん「かっこいい」よの遠まわしな褒めかたであったらしい。

    • 渡部倫枝(Norie.Wフレアバタフライ) より:

      星先生!(≧∇≦)
      コメントありがとうございます。
      そうなのです、あのアトリエには、セツ先生と星先生のお姿が欠かせません(笑)
      といいますか、ごめんなさい、先生がいつの間にか、左利きに!!
      実際は右利きであったかと、、、。
      ごめんなさい〜

      そうですね、セツ先生は、モデルをよく褒めて下さいましたが、あの間接的な褒め方がまたシックだったな、と懐かしく思い出しました( ^ω^ )
      セツ先生に煽てられると、何故だか、ものすごく頑張ってしまったものでしたが、その意味でも、褒める天才でいらっしゃったと思います。

  2. 匿名 より:

    倫枝さん、初めましてこんにちわ。
    セツのモデルを27年もされた事に驚きました。素晴らしいですね。体形も変わらず維持出来るってプロ意識がシッカリしてるって事ですから、。それとイラストも特徴あって面白いです。色々な人を描いていそうですね。それに楽しそう。

    • 渡部倫枝(Norie.Wフレアバタフライ) より:

      こんにちは、初めまして(^^)
      コメントありがとうございます。
      27年選手のモデルは、もう一名いるんですよ(笑)私の同期で、モデルとしては3ヶ月先輩が(笑)
      それにしても、昨日、閉校となりましたが、最後までモデルとして見届けることができるなんて、27年前は想像もできなかったです。
      皆さんと同じように、私も絵を描いてる時間が一番楽しいです。今でもデッサンは続けています。
      セツ先生が
      「絵は一生の勉強よ」とおっしゃっていたのが懐かしいです。

  3. 佐藤由利子 より:

    渡部さん 今回も楽しい文章とイラストですね。前回は返信ありがとうございます。
    今回のイラストのセツ先生の骨格をしっかり描写していて笑いました。特に胸元の
    あばら骨。
    私の在籍中もモデルをなさってたようですね。セツでは名前もみんな名乗らないから
    けっこう親しくなっても苗字を知らないってこともあります。
    27年間もモデルをなさってたのにびっくり。体型崩れなかったんですね。
     いろんなモデルさんを思い出しながら渡部さんを想像してます。
    先週、友人たちと最後の卒展に行ってきました。風景的には変わっていなかったけど
    セツ先生と星先生がいらっしゃらないセツはやはり魂が抜けたみたい。。。
    また続編期待してます。

    • 渡部倫枝(Norie.Wフレアバタフライ) より:

      佐藤さま
      前回に引き続き、今回もありがとうございます。
      セツ先生、どんなモデルよりも細かったと今でも思い出します。ついついあの浮き出た肋骨まで描写してしまいます(笑)そういえば、次回最終回のイラストにも描き込んだような、、、( ̄∇ ̄)
      そうですね、セツの生徒たちが大勢居た、80年代から90年代は、名前を知らない顔見知りの仲間がたくさん居ましたね。モデルさんの名前も知る機会が少なかったかも、、、。
      27年間、それなりに体型も崩れて枯れておりますが(笑)数値だけは維持しようとしてきたかもしれません(笑)。
      佐藤さまの在籍時は、髪型もアフロカーリーの時代(13年間)かもしれないし、長いロングヘアの頃であったかも??
      現在開催中の弥生美術館での長沢節展には私のモデル作品が8点ほど出ていました。様々な髪型の時代のものですが、見つけて頂けたら嬉しいですね。
      また次回のお話もご笑覧くださいませm(_ _)m

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