4

叱られてなぜか嬉しかった 

穂積 和夫(イラストレーター)
セツ一回生

 セツ・モードセミナー恒例の写生旅行は、忘れられない年中行事だった。
 「色彩は自然から学べ」というセツ先生の持論を実践する最大のイベントだった。沼津の釣り宿からはじまって、そのうちバスを連ねて伊豆や箱根あたりに出かける大所帯の旅行となり、後には外房の大原漁港に場所をきめて、大判の画用紙と水彩用具一式を持って各自が思い思いに現地に集合する。セツの写生会が始ると、ああ、春が来たんだなと、この土地の季節の風物になっていたものだ。バブルの頃はヨーロッパへまでツアーの足を伸ばした。
 実は、この写生旅行のはじまりは、ナント僕だった。風景も描かなきゃいけないといわれて、真面目にその頃まだ残っていた丸の内のレンガ街を描いて先生に見せたら、これがケチョンケチョンにいわれてしまった。
 「ナンダ、これは!これじゃ絵じゃなくてまるで芝居の描き割りだ。風景画とはどういうものか、いちどウチへ見においで」
 というわけで、恐る恐る池袋の先の先生のアトリエを初めて訪ねた。先生の風景画は、そのころの僕にとってはラフな筆遣いでなんとも難解に思えたが、先生のタッチを真似て二枚目に描いた海の絵は褒められた。先生の薦めで水彩連盟展に出したら入選した。
 「よし、それならみんなで写生旅行に行くことにしよう」
 と、それが写生旅行のきっかけになった。楽しい写生会だった。起きぬけにまず一枚描く。描かないヤツは朝飯は抜きだといわれて、みんな頑張った。一日中風景に取り組んで、夜は大広間で夕食。そのあとはお膳を片づけて今日一日の成果を壁ぎわに並べる。セツ先生と春日部たすく先生と、水彩連盟重鎮お二人による講評会がはじまる。
 「だれだ、こんな生意気な絵を描いたのは・・・ナンダ、お前か!」
 とかいわれて、僕はいつもあまり褒められたことがない。
 さあ、講評会が終わったらお楽しみの自由時間だ。僕は自分の絵を丸めてポンと部屋の隅に放り投げたトタン!
 「コラッ!!自分の絵を放り投げるヤツがあるか!作品は大事に扱え!」
 といきなりセツ先生にドナられた。本気で叱られてすくみ上がった。
 恐縮しながら絵を平らに伸ばして画板の中にしまいながら、こんな下手な絵でも大事に扱え、と厳しく叱られたのが、なぜかやたらに嬉しかった。

4 Comments | RSS

  1. 内川瞳 より:

    穂積先生。やっぱり文章わかりやすく上手いですね〜!!!先生に聞いてはいましたが詳しい内容が見えて絵面が手に取るように見えてきました。穂積先生の少年のような姿が浮かんできます。私たちの大先輩でありながら気さくに接してくれた当時も思い出します。そして今でもみんなの憧れの穂積先生、セツ先生の分までもっともっともっと元気に長生きしてください。

  2. 星信郎 より:

    写生旅行楽しかったです、バスの移動中には穂積先生がギター弾きながらセツの校歌を教えてくださって皆んなで合唱しました。シャンソン風でヘンな校歌でしたね。
    海外ではフランスのカルカッソンにご一緒してます。

  3. 87 より:

    穂積先生(センパイ?)、はじめまして。こんばんは。私も似たような経験がありました。第1回の水彩で4つの画鋲を友だちと2個づつ分け合って使い、私が先に合評に出したら絵が前へクルンと丸まってしまい、セツ先生激怒。。。「これ出したやつ誰だ!」「おまえは評価に値しない!」「おまえの顔は絶対忘れないからな!」怖かったのですが、回想してみると、なってない子をちゃんと手塩をかけて面倒見て、どこへ出しても可愛がられるような子に育てるの、セツ先生、そういうの大好きだったよね?と思うのです。このひとには敵わないと思わせるしつこさとキュートさでした。失礼いたします。

  4. 内野経子 より:

    穂積先生が、ギター弾いて、セツの校歌を星先生達が合唱したなんてすてきですね。
    私にとって、セツ先生が穂積先生を怒ったなんて、想像もつきません。
    今度、先生の若い時の写真見せてください。

内野経子 へ返信する