私がセツで楽しい時代を過ごせたのは、私の行きたい学校はここだわ!と高校の時に決めていた通りの学校だったから。世間知らずの第六感は見事当たりました。見たこともないアートの世界の先端にいるカッコいいセツ先生。入学当時から圧倒されながらも眼鏡の奥の大きな優しい目指しに暖かさを感じました。
自分の将来なんて考えてもいなかった(多分)。絵が好きでファッション好きで、本などフランソワーズ・サガン数冊とカフカの「変身」くらいしか読まない女の子だった。
今にして思えば普通が嫌いだったからこの学校を選んだのかも知れない。そうです、最近発見した 自分の普通がキライ好き。入学当時「ここを出ても何の肩書きにも成りません」と言われた言葉にえらく感動したものだった 。はっきり言って私は落ちこぼれでも何でも無く、勉強なんかより絵を描くのが好きだっただけの 、そんじょそこらのちょっとばかり変わった女の子だった。で、居場所は此処にあり、と見つけた時がターニングポイントだったのだ。
セツ先生は比較的早く私の名前を覚えてくれました。ある日「ひとみちゃん!」と大きな声で呼んでくれた。(くださったと言えない敬語知らない私)「ひとみって本名?君(まだ、おまえではなかった)評判よ~・・・・」と。今迄目上の人にそんなこと言われたことがないから、気さくなセツ先生の人柄が嬉しくて 家に帰ってから母に報告したほどだった。でもいつしか呼び名は「目だまちゃん」に変わっていった。どうやら星先生云く、言い出しっぺは柳生弦一郎さんらしい(当時「 アトリエコパン」というグループ名も持ち峰岸達さんたちと活躍してる売れっ子先輩でした)でした。
半年に一期ごとの進級で半年後の2級生の時には、生まれて初めてのアルバイト、セツのコスチュームデッサンのモデルを頼まれるようになり、母が洋服を沢山作ってくれました。絵を描きながらモデルのアルバイトも出来て楽しい画学生生活は快調でした。
イラストレーターブームという時代でもあり巷ではイラストレーターの卵が沢山溢れていました。私もその一人。そしてセツの「モノセックス・ファッションショー」が銀座ワシントン靴店で開催されました。セツ先生考案の斬新で男女超越した新しいファッション・モノセックス。長沢節はまさに時代の寵児でありました。
そしてモノセックス・ファッションショーでは一番小柄なモデルが急病になってしまったとかで、 その時たまたま居た私に 白羽の矢が当たりショーに出ることになりました。どうしよう~経験もないのに、と思いながらもその気になっていたら、翌日そのモデルさんの病気が治ったことで、私はボツになりました。そりゃそうだ。カックン。
(つづく)
カックン残念! そんなことがあったのかぁ、知らなかった。
柳生弦一郎くんは天才的にあだ名づけ上手かったね、スズメちゃんという人もいたし、あのころは皆んなニックネームで呼んでいた。
星先生、このコーナーのご紹介ありがとうございました。書いてるうちにどんどん思い出しかなり削りましたが
それでも2部に分かれて載せていただく事になりました。なんだかんだと言っても私はセツモ−ドセミナーに長く通わせていただきましたが 1986迄はさすがi居ませんんでしたア。笑
文の中では前後してるけどモノセックスショウの時は入学したばかりでモデルはその後の2学期からでしたわ。
星先生にはお仕事などの紹介もしていただきました。みんなと同じようにセツの思い出はきりがないくらいありますね。第2も面白いかもしれません。微笑して苦笑して爆笑してください。ンチャ。
そもそも「ひとみ」チャンなんだから「目だまちゃん」はないと思うけどwそこが柳生さんらしい愛のある口の悪さですね。私もあだ名をつけて欲しかったなー♪
今みたいに 「みんな同じが良い」なんて詰まんない価値観はあの学校では無くて、色んな人が居て 口の悪いのも、お世辞が上手なのも、絵が上手い人も下手な人も、みんなみんな平等で幸せだった。 そんな経験をさせて下さったセツ先生や星先生にも感謝☆
ありがとう。でもなぜかメダマチャンて言われるの嫌いじゃなかった。誰かがなぜ目玉ちゃん?と訊いたらセツ先生が ひとみじゃキザだからとか言ってました。キザではないですけどと言ったら、キザだよ〜と言ったような言わなかったような。かまってもらって嬉しいんだから何でも良いですって感じ。エヘン
セツがもっともセツだった時代。その空気感が伝わってきました!
来年春、弥生美術館で開催される長沢節展で、モノセックスショーも再現されるみたいよ\(^o^)/
コメントありがとうね〜
え〜じゃあ当時の衣装が残っているの?楽しみね!一緒に行きましょう!
私が入る数年前の様子、先生やセツのロビーの雰囲気が伝わってきたー!
つづきが楽しみ~~
長沢先生のポートレートこれだけ集まると圧巻!ですね
半年ごとの進級だからそんなに違ってないかもよ。偶然にも一緒だった新聞で見て応募したパルコのファッションコンテストに出たとき。思い出すとあの素晴らしい時間は正にみんな夢見る生徒だった記憶に古い青春の1ページ。笑
又偶然にもイラストの仕事で同じ雑誌でご一緒という事も何回かあったものね〜。
ついこの間の事のようです。って言うと鬼が笑う?またはなんとかの冷や水?どれも違うね。
ひとみちゃん、たのしかったね。いまでもうかんでくる、セツ先生、星先生、初川さん、がいて、コーヒー飲みながら、ロビーにたむろしていた。懐かしいあの頃、ひとみちゃんもっと書いてね。
つねちゃん,ブランクの後再会して続いた3人展は丁度10年区切りで出来なくなりそうだけど、又違う所でやりましょうね。これからも毎年会えるようにしようね〜。セツの仲間は不滅ですね。
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