声なき声に耳を傾けて

消えつつある生活文化

私は、小学校から大学まで、中退した大学院を加えると、17年間ほど教育機関に在籍したことがあります。しかしその期間、地域の生活文化について学ぶことは、まったくありませんでした。幼少時に新興住宅地に引っ越したため、育った町は地域色に乏しい環境。それだけに幼い頃、祖父母の暮らす山間の田舎で過ごした体験は、思い出の中でそこだけ切り抜いたように強く印象に残っています。
大鍋のような五右衛門風呂の風呂焚き、離れまで行かなくてはいけない汲み取り便所、濃厚な空気が漂う薄暗い漬物部屋……。それは紛れもなく、江戸時代以前の暮らしが息づく世界でした。その神秘的な空気感は、怖いながらも魅力的で、いろいろと想像をめぐらせたものです。しかしその濃厚な空気の源になっていたのが、もっとも小さくて目立たない、寡黙な祖母であったことに気づいたのは、彼女が亡くなった後でした。自作の筵の上に座り、箕の中の豆をせっせとよっている祖母の姿が、今も時折、思い浮かびます。豆には多くの種類がありましたが、それらが貴重な在来種であったと気づいた頃には、時すでに遅し。自ら語ることをせず、いつも何かしら手を動かしている、それが祖母のイメージでした。

この島国の生活がどのようにして営まれてきたのか、大和高原に暮らして初めて、学ぶ機会を与えられました。当地では、平野部に比べて自給自足の時代が数十年遅くまで続いたために、私の祖母に似た古老たちと、まだ直接お話できる機会があります。しかし年々、その機会は確実に少なくなってきています。
村の外に伝えるという意志がなかったために、存在すら気づかれることなく、消滅しつつある、この島国の貴重な生活文化。多くの古老は、亡き祖母同様、あえて言葉で何かを表現しようとする習慣をもっておられません。古老たちにとって、昔と価値観が逆転してしまった現代は、村の外、異なる世界になってしまっているのです。

目に見える部分だけでなく、心で感じる

その一方で、近年ますます、田舎ならではの生活文化が見直されてきています。当地にも、大学などの研究機関から、多くの方々が訪れてくださる機会も増えてきました。若い学生さんたちの素直な反応が、地域の方々の励みや誇りとなり、地域を見直すよい機会になっています。特に、昔の手技や言葉、民俗学を研究されている方々との交流はとても楽しく、若返ったかのように活き活きとされる古老たちの様子を見ているだけで、嬉しくてたまりません。
しかし、口下手な地元の方々がより寡黙になってしまうケースもほんの時折、見受けられます。その根底には、現代社会が信奉してきた「進歩」に対する無意識的な価値観の違いがあるのかもしれません。地域活性化に関して、外からのアドバイスはとても貴重です。しかし、先祖代々、長く住み続けてきた地域の方々にとって、目には見えないけれど、そこを外すと活性化どころか、衰退してしまいかねない、とても大切なものがあります。机上では感じ得ない、内に秘められた地域の心。それが一体、何なのか、おぼろげながらでも感じることを、一番の目的にして頂きたいと思います。それは、人間としての学びそのものでもあります。「『地域活性化について論文を書きたいけど、地域の方の意見が聞けない』と言う学生がいる。でもそれは仕方ない。わしらの本当の気持ちを見ようとせずに、一方的な押しつけの論文や提案に力を注いでいるから。近藤さん、もっと書いてくれ」。これに類する意見を何度か言われたことがあります。しかし、未熟な私はその心を表現できる言葉をまだ見つけることができていません。

私は不器用なために、百姓の手技を覚えることが苦手です。なので、学びの目的を「江戸時代以前の暮らしを支えていた心を感じるため」と見得をきっています。しかし、目に見える部分だけではなく、心を感じるのは簡単なことではありません。常に目立たないところ、地味なところに注目し、子どものように素朴な目で見て、本音で接していくうちに、あるとき突然、地域の方々の雄弁で饒舌な表現が伝わってくるときがあります。今の現代社会ではなかなかお目にかかれないほどの、底抜けにあけっぴろげな陽気さ。そして、時として過酷な共同作業のエネルギー源が、子どもの頃に感じていたシンプルな達成感や満足感と同質のものであることに気づきます。その言葉にできない喜びを、十分に知り尽くしておられるのです。
古来、多くの村人たちは、外に対して目立たずに生きながら、あえて外に知らせる必要がないほどに、自分たちの本当の力、本当の幸せを知っていたように思えてなりません。決して特別ではない、名もなき一人一人こそが、本当の力を持っている。時代の岐路に立つ今、それに気づくことを促す声なき声が、聞こえてくるような気がするのです。私の祖母は、本当は寡黙ではなかったのかもしれません。

小さなところに目を凝らして

戦前から戦後、高度経済成長期にかけての激動の時代、全国をくまなく歩き続けた民俗学者、宮本常一。彼が記録した戦前の田舎には、まだ生活の中に歌と踊りが満ちあふれ、「生きよう、生きなくてはいけない」という人々の根源的な意志が、社会の底辺にまでつながっていました。古老たちが目指した「豊かさ」の多くは母なる故郷とつながるものであり、それは離れていても心のどこかに流れる地下水のような存在でした。そのような大切な宝物を、現代の私たちは心に持つことができるでしょうか。
移住者として、私はまだまだ学びの真っ最中。何歳からでもスタートできる学びですが、今しかできない学びでもあります。うまく表現できなくてもいい。失敗の連続だっていい。見落としがちな小さなところに目を凝らし、嘘のない、心に残る体験を重ねることが、未来への道程へとつながっていくのだと信じています。最後に、宮本常一の晩年の言葉を以下にご紹介して、今回は締めくくりたいと思います。

宮本常一『民俗学の旅』(講談社) ~「若い人たち・未来」の章より

 いったい進歩というのは何であろうか。(中略)失われるものがすべて不要であり、時代おくれのものであったのだろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけでなく生きとし生けるを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。進進歩のかげに退歩しつつあるものをも見定めてゆくことこそ、今われわれに課せられているもっとも重要な課題ではないかと思う。少なくとも人間一人一人の身のまわりのことについての処理の能力は過去にくらべて著しく劣っているように思う。物を見る眼すらにぶっているように思うことが多い。
 多くの人がいま忘れ去ろうとしていることをもう一度掘りおこしてみたいのは、あるいはその中に重要な価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。しかもなお古いことを持ちこたえているのは主流を闊歩している人たちではなく、片隅で押しながされながら生活を守っている人たちに多い。大事なことを見失ったために、取りかえしのつかなくなることも多い。(中略)これからさきも人間は長い道を歩いてゆかなければならないが、何が進歩であるのかということへの反省はたえずなされなければならないのではないかと思っている。

大和高原、某集落の聖域へつながる山道。心の最奥にある宝物を、私たちは守ることができるのだろうか。

大和高原、某集落の聖域へつながる山道。心の最奥にある宝物を私たちは守ることができるのだろうか

大和高原…奈良県東北部に位置する山間地で、主要産業は茶と米。古くは「東山中」や「東山内」とも呼ばれ、凍り豆腐、養蚕、炭、竹製品、藤箕の生産も盛んだった。題目立、おかげ踊り、太鼓踊り、豊田楽をはじめ、個性的な伝統芸能の宝庫でもある。現在は、奈良市、天理市、山添村、宇陀市、桜井市に分断されているが、独自の民俗風習をもつ約130の集落(明治時代の旧村)からなる、一つの山間文化圏である。


■お知らせ■

祈りの舞&マナナ コンサート
「阿蘇~奄美~沖縄~宮古をつなぐ女性たちのウォーク、ぽのぽのマーチ」からのメッセージも。前座の歌姫にもご期待!

日 時:2012年11月18日(日) 17:00~
場 所:奈良県宇陀市大宇陀区大東45 報恩寺 0745-83-1341
近鉄大阪線「榛原」駅から、奈良交通バス「大宇陀道の駅」行、終点バス停から徒歩10分
料 金:当日1800円 ご予約1500円
問合せ&ご予約:wa-wa@kcn.jp 近藤まで

☆15:30~16:30 大地と天に祈るダンスワークショップ ~スーフィカタック~ (講師:あみ) 1000円 要予約
自分と地球の魂を感じて大地に祈り 火水地球に感謝し、風に舞い天へと舞踊りましょう。気功とインド舞踊をとりいれたダンス体験。
☆19:00~ 交流会 500円 要予約

Profile
あみ(祈りの舞 スーフィーカタック)
92年より、一年の半分はインドで生活し、半分は日本を旅。02年よりインド古典舞踊カタックダンスをベナレスのO.プラカーシュ・ミスラ氏に師事。イスラム神秘主義の流れをくむスーフィーカタックをM.チャットルべティ女史に師事。北インド古典舞踊カタックとスーフィーのメッセージ「愛と光・神秘」の踊りを学ぶ。自然のエネルギーと心ひとつ、月に踊り、風に舞い 、大地に祈る。そんな旅を、今も続けている。

マナナ
各々異なるバックボーンを生かした神秘のリズムと響き。大和の地で、古今東西のスピリットを融合。
山口智:ハンマーダルシマー
山浦庸平:パーカッション、チベタンボウル
ユッキー:ドラム、パーカッション
近藤夏織子:リコーダー、ハルモニウム、唄

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