全国版コラム 大皿こぼればなし

アツとヒヤ

魚遊水底涼(魚は水底の涼しきに遊ぶ)の意

 

父は単身、山に入る。水力発電所建設のエンジニアの彼は月に一、二回土曜日に里に下りてきた。会社のジープに乗り昼過ぎに自宅の前に着く。四輪駆動、彫の深い大きめのタイヤ、背後に予備のタイヤを装備。傾きかけた太陽に映し出されるそのシルエットは骨太の男前で、父より泥にまみれたジープの姿にドキドキした。翌日の日曜日、甲州人の血筋の父はうどんを打つ。夕刻になると、こね鉢に小麦粉を入れてこねだす。からだを前後に揺らして捏ねる。匂いたつ粉がぬるま湯とグルテンの力で塊、菊練りですべてが中心に向かって練り込まれていく。「耳たぶの硬さがベストだ」・・・と、ぬれ布巾をかぶせてしばらく醗酵を待つ。お腹がすきだした頃、優しくホックリとうどんの大玉をとりだす。お肌ツルツル、大理石の光沢を放っている。のばして、打粉をふり、畳んで切っていく。切る初めと終わりにできる三角のペラで僕たち子どもは、粘土遊び感覚で思い思いのかたちを作ったりした。不揃いのうどんを新聞紙の上にバラバラに並べてゆく。大鍋にたっぷりのお湯を沸かしてうどんを泳がして茹でて、笊にあげる。流水でもみ洗いしてツルツルのうどんが出来上がる。

うどんを打つ父

夏はヒヤ。笊もりにしてつけ汁につけて食べる。一本一本の幅、厚みが一定していないので芯にまだ火が通ってないものもあり、素人ならではの歯ごたえがある。いつもつけ汁のだし、味ともに浅くてちょっと物足りなかった。この味は父の味として変わることはなかった。冬はアツ。土鍋に味噌か醤油のどちらかを選択して、野菜、魚介、肉など煮込んでうどんを入れて家族で賑やかに食べる。再度煮られたうどんは太く膨らみ、こどもの口には大きく感じられた。残ったら翌朝食べる。すべての具材がグタグタになり、なんとも言えぬ食感であったけど嫌いではなかった。今、僕がうどんを打つ。父の忘れていったこね鉢、のし板、のし棒は現役で活躍する。やはり僕も「夏はヒヤ、冬はアツ」。アツと言っても父とは違い「甲州のおざら」。野菜、鶏肉、油揚げ等の醤油ベースのアツのとろみつけ汁にヒヤのうどん。二代目の僕でアツとヒヤはコラボした。次代にはどのように変わるのか? うどんの未来を思うとうれしくなる。

ばらばらと粉を降らして晩年の父は    宗介