全国版コラム 大皿こぼればなし

切干だいこん

火

その日。「よし、干しものを作ろう」。思い立ったら吉日。開店したばかりのショッピングセンターに出かけた。下りエスカレーターを降りる。その前は野菜売り場で緑が美しい。本日の特売品・だいこん1本35円。鮮魚売り場に行く前に足止め喰らってしまった。「切干だいこん」―これでいこう。だいこん8本をカートに載せてレジで清算、計280円。値段のわりにずっしり重い。二袋に分けて両手で持ち、筋トレしながら持ち帰る。呼吸を整えて一息つき、ピーラー、包丁、まな板を用意して腕をまくり「いただきます」と心で唱え、ブツブツ四等分にする。皮を剥いて薄くして、拍子切りにすると量が増えるは増えるは。ボールは一杯になり零れるは零れるは。「だからいったじゃない」。案外ひとりでものづくりをしている時、自分と話しているものだ。ジャ・ジャーン、ここで登場。色は青、三段構えの「干しもの便利器」。何年ぶりだろう。袋から取り出す。吊るして、畳んで、また吊るして畳む。虫は付かないし衛生的、しかも造形的にかっこいい。

ここでちょっと脱線。妻の故郷北海道瀬棚町に行ったとき、出会ったものがすごかった。「ホッケ乾燥機」―それは回転軸の中心に数匹のホッケの尾びれを放射線状に固定してぐるぐる高速で回転。まるでホッケの団体演武さながら円形を描き、ぐわんぐわんと音を出す。もちろん虫など流暢にとまる隙などあたえない。一定時間回したらホッケの干物ができていた。食べてみるとすごく美味しい。けれど、すこし眩暈がしたのは気のせいか。

話を元に戻そう。拍子切りにした1本1本を、なるべく重ならないように一段一段並べていく。8本のだいこんが形を変えて一つの部屋に納まっている。いざ吊るそうとするとかなり重い。軒下に片手で「よいしょ」と吊るす。数日間全身で陽を浴び、風を受ける。水分は蒸発し、旨みは凝縮し身はひきしまる。皺が寄り、縮れていく。白色は一度半透明になり、光沢を失い、紙のような質感に変化する。あるものは細く小さくひとりで舞い、あるものは隣と手を組み「クルクル」踊る。全部を新聞紙の上にがさっとひろげる。乾ききった干物はカサカサと眩しい。熱を冷ました後、ジッパー付きの保存袋に小分けする。冷暗所に大切に保存して、共に並進してきたことに終止符を打つ。 だいこんを干すことと僕の日常―このふたつの事象がいきいきと時間の上を闊歩する。呑気である心持、原始の人間が誰しも持っていた芳醇さ、豊かさへのキップ。「大金をかけなくても、ちょっとしたことで、時を実感でき楽しめる」今度は料理に使い、ぎゅっと抱きしめた、時と旨みを堪能したい。

水を得て 時巻き戻す 干しだいこん     宗介