全国版コラム 大皿こぼればなし

〆鯖

ふ

保育園に通っていた頃、ラップがパンと張った上からトレーの巨峰の実をこっそりと押して楽しんだ。子供にとってこの感触が何とも言えない。たまに力の加減で潰してしまうこともあり、猿以下の僕は決まって母に叱られた。魚の「まなこ」は潤潤して、押したい衝動に駆られるけれど―できない。「まなこ」の奥深さに飲み込まれそうだし、大海を一匹で泳いでいた威厳を感じていたのかもしれない。以来、魚には距離を置いて感心しながら目で楽しんでいる。

魚は僕にとって特別な存在だ。中でも青魚の鯖にはお世話になった。学校から帰宅し、ランドセルを玄関に放置する。ブタの貯金箱から小銭を出し、一路スーパーの鮮魚売り場へ行く。鯖のパックを購入。まんまるに太った体がラップを盛り上げてひんやり冷たい。自宅に急いで帰り、母の見よう見まねで三枚おろしにする。切るには程遠く石包丁でちぎるに近い。背骨は太り肝心の身の部位が薄くなる。未熟者が一人でやるのだから致しかたない。笊に皮面を下にして、たっぷりの塩を振る。臭みを取り、きゅっと締まった身を軽く洗いヒタヒタになるお酢にしばらく漬ける。お酢は身を白くしつつ旨みを引き出す。たまにそっと覗いてみる―この時間が最高だった。手間を掛け、時を費やし作り出す。やがて身は反りだし〆鯖へと変身する。「料理の醍醐味はここにある」と子供ながらに全身で感じていたと思う。

さあ、これからがクライマックスの始まり。お酢の中から〆鯖を引き上げ、余分なお酢を拭きとる。艶はいい。〆かたもいい。薄皮の入り口を探りあていっきにピーと引く。やっと出会えたこの姿―うれしかったことうれしかったこと。板皿に自分なりに季節の花を近場から摘んできて添えて、削ぎ切りにして盛りつける。あとは家族の帰りを待つ。母の作る栄養いっぱいのおかずに隠れ、食卓の一品になるのが常だった。珍しいことも手伝って、家族満顔えびす顔で喜んでくれる。「うれしいから明日も」と、凝り性の僕は数日作り続けた。当然のことながら僕のテンションとは反比例し、〆鯖は食卓から消え落ちていった。

今から思い返せば、おなかが中らなかったことの不思議。どんな魚も鮮度が良かったからか、体に抗体があったからか。いずれにせよ過去の大切で幸福なひとこまに間違いない。今でも居酒屋に行けば必ず〆鯖を注文する。〆鯖はほんとうに旨い。そしていつも思いあたることがある。「その味が店の良し悪しを決める」―如何なものか?

皮引けば顔を出したる碧き海     宗介