全国版コラム 大皿こぼればなし

梅割り

大道通長安

 

貧乏学生にとって「安くて、量があり、そこそこの味」が飲食の基本であった。ひと皿をみんなでつついた。串物は肉を外して一個ずつをみんなで食べる。日本酒は特別のときにだけ頂いてもっぱら焼酎の梅割りだった。お湯割り、炭酸割などの飲み方の一種で北海道では一般的であったようだ。焼酎は札幌soft。懐に優しく、アルコール度数も高く口当たりもおだやかでのどごしもいい。そのまんまストレートで飲んでもいけるが、僕たちは梅酢色の梅エキスを加えてもらい梅割りでいただいた。

お店の人は、どんなに忙しくても、受け皿の上に正一合のコップに、一升瓶からこぼすことなく透明な焼酎をついでいく。九割がた入っているところに梅エキスをいれてくれるから、コップから溢れ出す。余すことなく皿がキャッチする。何度経験してもうれしくて、慣れてくるとお店の人に「もう一息」と催促までした。ここからテーブルの上に飽和状態にあるコップと飲み手の一対一の勝負が始まる。ある者は、受け皿ごと持ち上げて口元にもっていき安全を確保する。ある者は、自分の体をテーブルに前傾姿勢の格好で触れることなく口元をもっていく。勝負放棄者は、溢れることなどおかまいなしに豪快? に口に流し込む。

飲めば飲むほどに細かいことはどうでもよく、ろれつが回らないぶん大声になり、急に泣き出す者や哲学を論ずる者や席を立ち踊り出す者・・・梅割りの結末はいつもこんな感じだった。そして梅割りの赤紫色のむこうに自分の未来を映していた。今でも泥酔していた青春の喧騒がはっきりとよみがえる。「うめわり」は僕にとって大切なキーワードである。

覆酒すすりし父は言ふ「酒は血の一滴」   宗介