第39回 小鹿田焼の里へ

小鹿田焼の里

この連載の第一回で書いたのが、福岡県の山間部にある小石原という陶郷のこと。
そして、小石原の隣には、小鹿田(おんた=大分県日田市)というもうひとつの産地があります。
もともと福岡藩の領地だった小石原で生まれたやきものに目をつけた日田天領(幕府直轄地)の代官が、小石原の職人をスカウトする形ではじまったのが小鹿田のやきもの。
小石原と同じく、「飛びかんな」や「刷毛目」と呼ばれる装飾技法で有名です。

小鹿田焼の里

ただ、ふたつの産地は別の道を歩んできました。
小石原は外部から人を受け容れ、窯元の数を増やしてゆき、さらに新しい釉薬を使ったりしながら、(ある意味)時代の趨勢に乗っかっていったのですが、小鹿田はスタートしたときの状態を変わらずに保ち続けています。
弟子をとらず、「一子相伝」でその技術をつなぎ続けてきたのですが、この一子相伝というシステムは「拡散しない=薄まらない」という結果を生み、それが、小鹿田をして濃密な民陶の里たらしめることになりました。

小鹿田焼の里

この小鹿田の窯業集落を「皿山」と呼びますが、この皿山の中には小さな川が流れ、その急流のほとりには水車が設置されています。
これは「唐臼(からうす)」と呼ばれる装置。この水車には杵と臼がついていて、流れの力で土を精製する仕掛けになっているのです。
皿山には、唐臼が動く音が恒常的に響き、はじめて訪れると、集落に響く音の大きさにちょっとびっくりするのですが、「ぎいい……どん!」というこの音は、腹の底に響くような力強さに溢れていて、小鹿田の里の魅力のひとつになっています。

小鹿田焼の里

また、小鹿田のもうひとつの大きな特徴は、登り窯での焼成。
ガスや灯油などの力を借りず、自然の力を借りる形でやきものが作られているわけですが、特筆すべきは、現在9軒ある窯元のうち、5軒が共同窯で焼成をおこなっていること。
他の産地でも過去には共同窯を運用していたところがありますが、いまは窯元ごとに焼成をおこなうのがスタンダード。そんななか、小鹿田では、今や忘れられた前近代の制作風景の名残を見ることができるのです。

小鹿田焼の里

本当は、実際に足を運んでやきものの里の空気感を堪能してほしいところですが、いまはなかなか旅にも出られない状況。
以下、余談で恐縮ですが、僕がたまに行く喫茶店では、小鹿田焼のうつわでコーヒーが供されます。この一年半ほど出張に行っていませんが、この店で小鹿田のカップ&ソーサーを手にするたび、耳の奥に唐臼の音がよみがえってくるような気が。東京に居ながらにして、九州の山里の風景が懐かしく思い出されます。
早く旅に出られる日が来るとよいのですが。