第18回 秋田と日常使いの器 vol.3

これまで二回に渡って中嶋窯についてお話してきましたが、今回は、秋田の地場のやきものである白岩焼と和兵衛窯についてお話ししておきたいと思います。

秋田と日常使いの器

白岩焼は、18世紀の半ば頃、角館の郊外・白岩地区で興ったやきもの。
秋田藩の庇護を受けつつ、大きな壺や大徳利などの貯蔵容器や日用雑器、さらには茶器まで多様な器を生産。白岩は、秋田における窯業を代表する産地となりました。
最盛期を迎えた幕末期には6件の窯元が操業し、5000人もの陶工が立ち働いていたそうですが、明治を迎えると、藩からの庇護を失って一気に衰退。その後、1896年にこの地方を襲った大地震によって壊滅的な痛手を被った白岩焼は、ひっそりと終焉の時を迎えました。

秋田と日常使いの器

現在手に入れることができる白岩焼の器は、渡邊敏明さん・すなおさん夫妻が40年程前に開いた和兵衛窯で生み出されたものです。
こちらの窯元を立ち上げたすなおさんは、19世紀末に廃業したハ窯(勘左衛門窯)の子孫にあたる方。大学の研究室で共に陶芸を学んだ敏明さんと力を合わせ、当地を訪れた民芸運動の重鎮・濱田庄司氏から様々な助言を受けながら、白岩焼を見事に復興させました。

秋田と日常使いの器

白岩焼の特徴は、何と言っても、青く発色する釉薬=海鼠釉(なまこゆう)。
深みのある不思議な風合いですが、これは化学的に生成された釉薬ではありません。
その種明かしを聞いて少々驚いてしまったのですが、釉薬の原料は、稲の籾の灰なのだそう。つまりこの青は、炎の力を借りて自然が醸した色だったのですね。
そして、和兵衛窯には、海鼠釉に対するさらなるこだわりが。それは、原料である籾に、秋田の宝である「あきたこまち」を使うこと。そこには、秋田への郷土愛とともに、土地と深く結びついたやきものを作り続けようという気概が感じられます。

秋田と日常使いの器

敏明さんとすなおさんは、白岩焼復興の第一世代ということになりますが、現在は、第二世代として娘の葵さんが加わり、和兵衛窯が作り出す白岩焼に新たな息吹を吹き込もうとしています。
海鼠釉が持つぽってり感や土俗的な素朴さを大事にしつつも、造形に関してはあくまでも繊細で優美に。
これらの相反するふたつの要素をひとつのやきものに盛り込むのが、葵さんの流儀。このことは、白岩焼がこれから進む道を示しているように思います。

伝統やアイデンティティは保ちながら、新しい時代の美意識を恐れずに取り入れ、長く愛用される器を作る。
それは、和兵衛窯での制作に携わる親子二代の共通した想いかもしれません。