江分利満家の方かい 山口正介

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食卓の皿小鉢から箸置きにいたるまで、僕が生まれたころは、すべて魯山人の作品だった。しかし、今現在、わが家に残っているのはほんの数点にしかすぎないのだ。
 まず、瞳の二人の妹が結婚したときに、それぞれに大皿や五客揃いの取り皿などを嫁入り道具として持たせている。また長男と三男が家庭を持ったときにも、それなりの魯山人を分けている。この時点で、残っていた魯山人残りわずかだった。
 結局、瞳と治子と僕の親子三人が最後まで祖父母と一緒すことになり、それは祖母静子の突然の死によって終わることになる、最後の時期だった。
 このあとでも治子が流し台で魯山人を割ってしまうことが多発していた。治子には神経性の疾患があり、ときとして手先がしびれたりすることもあったようだ。
 そのため、つい洗剤まみれの食器を取り落としてしまうのだった。

 魯山人作として有名な鯛を象った箸置きは割れるはずもないのに、だんだん数が減ってしまった。最後に残っていた一つは重度の糖尿病で入院していた祖父の正雄が病室で使っていた。
 病院での食事は貧しいものであったから、せめてご茶碗と箸置きぐらいは、それなりのものを持たせてやろうということだった。
 ところが、あるとき治子が見舞いにいくと、その箸置きがない。正雄に問いただすと、付き添いの女性にプレゼントしてしまったということだった。当時は病室ごとに賄いの婦人がついていたのだが、正雄は、その人に、気に入られようとしたらしい。

 こうしてほとんとすべての魯山人が散逸してしまった。
 今現在、当時のもので、いまだにわが家に残っている魯山人を正直に書けば、赤絵の徳利が二つと織部焼の菓子皿が数枚あるだけだ。最後に一つだけ残っていた赤絵のお猪口は、瞳が親しくしていた陶芸家の辻清明さんに差し上げてしまった。作陶の参考にということで、お返しに辻さんの徳利をいただいたと思う。
 すき焼き専用の取り皿というものもあり、エッジがシャープで卵を割りやすく、とても具合がよかったのだが、すべてなくなってしまった。
 そこで瞳は記憶に頼って、こんな感じで、と辻さんの奥さんで同じ陶芸家である協さんに同工のものを造っていただいたが、瞳の思惑とは違って、協さんご自身の作風による作品に仕上がっていた。

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