江分利満家の方かい 山口正介

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一九七九年九月四日、国立市、国分寺市、府中市周辺は一時間80ミリという記録的な集中豪雨、いまでいえばゲリラ豪雨に襲われた。国立市の駅よりは立川から続くなだらかな平地で、南側は甲州街道を隔てて一段下がって多摩川の河川敷になる。また東側は例の忌野清志郎の歌でも有名な多摩蘭坂で知られるように国分寺側が高くなっている。すなわち、立川側から流れ込んだ雨水は国立駅南側の区画整理された部分にたまり、甲州街道に阻まれて行き場をなくす。しかも、宅地造成する際に道路部分を削って住宅の敷地が三尺以上高くなるようになっている。確かに昔の日本家屋は石段を数段上がって玄関があるという設計になっていなかった。これが二重に雨水を集めることになる。我が家が国立に越してきたころは、ちょっとした雨でも大学通りに水があふれ、驚くべし、軒先に小舟を吊るした店まであったのだ。それほど、水が出やすい土地柄であった。まして、後に分かったことだが、我が家の建っている一角はかつてアシやらヨシが生い茂る沼地があったという。いまでも拙宅前から西側を見ると、道路がそれとわかるほど傾斜している。西側が高いのだ。
 我が家は国立市の東端。すぐ裏は府中市になる。区画整理された国立市の駅寄りではもっとも低い場所に位置するだろうか。瞳の印象としてはこの辺りは台地であり水害などとは無縁であろう、というものだった。
 その日、夕方の五時ごろからポツリ、ポツリと降り出した雨は八時ごろ大変な事になる。

 -風はあまりなく、雨は垂直に地面を叩いていた。たちまちにして、道路は川のようになる。-
 と瞳は「男性自身シリーズ/卑怯者の弁」の「水害」の章で書く。

 父と母は駅前の中華料理店で行われていた会合に出席していて、僕は一人、家で留守番をしていた。ドン、という音がしたかと思うと、停電した。半地下に水が入り、音はブレーカーが落ちる音だったのだろう。変奇館は水没した。