増築が新築へ

父、瞳が作家に相応しい書庫が欲しいと言い出した。母、治子は、だったらあたしはちゃんとしたキッチンが欲しい、と言う。
新築の着工が一九六八年六月であるから、それに先立つ半年ぐらい前のことだろうか。

 瞳が私淑するドイツ文学の高橋義孝先生に話したところ、息子の嫁が建築家だとおっしゃる。これは内の嫁に任せろ、という意味だと瞳は解釈した。ハイテクだかローテクだか、最先端の前衛建築を得意とする高橋公子さんは、当時、女流建築家として有名な方だった。

 当初の瞳と治子の目論見は、庭にある四坪ばかりの真四角な池を土台として書庫とし、母屋に連結する部分をキッチンとする、という単純なものだった。
 女性二人の間で交わされた数度の打ち合わせの結果、増築ではなく、すべての既存の建物を壊して完全に新築にする、ということになった。瞳は、二人の間でどんな会話があったのかは知らない、と書き残している。
 増築は新築の倍近い費用がかかること、瞳の新聞小説の連載がはじまったところなので、銀行から融資してもらえそうだ、という二点が新築の主な理由であった。

 既存の住居は、当初は借家で、後に買い取った木造モルタル二階建で、二階はいわゆる“お神楽”という増築であった。かなり老朽化が進み、八畳の和室では、みかんが端から端まで転がってしまうという有り様だった。たいして広くない敷地に四坪以上の池というのは変だと思われるかもしれない。当時、高校生だった僕は、なんといずれは錦鯉の養殖で生計を立てようとしていたのだ。そのための池だった。しかし、百坪以上の養殖池が幾つもいるような養殖ができるはずもなく、池には毎日、幼魚の死骸が浮かんでいるような体たらくで、早々に撤退を余儀なくされていた。今も家には一坪半の池があるが、これはその後も趣味として続いた僕の希望で、よく誤解されるのだが、決して瞳の好みではない。
 

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