辛夷が枯れた

庭の南西の片隅にある辛夷が枯れた。去年の夏ごろから様子がおかしく、紅葉したのかと思ったら葉を落してしまい、それきり、今年になっても開花しないままだった。
 今年の四月に、二階の屋根よりも高くなっている辛夷の近くまで屋根づたいに近づいて先端に触れてみると、あっけなく折れてしまった。すでに乾燥していて、枯れたことは火を見るよりも明らかだった。
 瞳は「芸術新潮」で連載していた『武蔵野写生帖』の「庭の白木蓮」(一九八一年五月号)で辛夷について少し書いている。

- 私の家の庭では、白木蓮、辛夷、桜の順序で花が咲く。(中略)今年は、どういうわけか、白木蓮と辛夷が同時に咲いた。(「庭の白木蓮」)
 このところは例年、ほぼ同時に咲いていたから、この年から、そんなことになっていたのだろう。白木蓮は大きく、庭の中央にあり、今やシンボル的な存在だ。
- 国立駅に戻ってくると、駅前で植木市が開かれていた。私は躊躇することなく、かなり大ぶりの白木蓮を買った。たくさん蕾がついていた。代金は一万円である。(「庭の白木蓮」)
 その後、競馬評論家で作家の赤木駿介さんも白木蓮をプレゼントしてくれた。
- そういうわけで、庭に二本の白木蓮がある。(中略)そのほかに辛夷もある。(「庭の白木蓮」)

 辛夷は最初に雑木林にしようとしたときに植えたらしい。赤木さんの白木蓮のほうが大きく育ったのだが、今はない。だいぶ以前に枯れてしまったのだと思う。
 数年前にお隣の敷地にまではみ出した辛夷の枝を選定していた。それで大きさが半分ほどになってしまった。また植わっている場所が隣家との境界にあるコンクリートの塀と、池の淵の間の一尺ばかりの隙間なのだった。そこに一抱えもある幹が窮屈そうにそびえている。いずれ塀を壊してしまうか、池のコンクリートを割ってしまうのではないかと懸念していたところだった。そうでないとしても、根が張る余地は残されていなかった。
 そして、これが最大の理由だ思うのだが、幹を蔦が覆っていたのだ。気がつくたびに剥がしていたのだが、すぐにまた伸びていた。 二〇一八年五月九日。枯れた辛夷を植木屋さんが撤去してくれた。作業は二時間ほどで済んでしまった。あっけないものだ。