庭の池

変奇館を訪れた方が驚くことがある。
 半地下になっている居間兼食堂にそって幅一メートル足らずの池があり、十匹前後の錦鯉が泳いでいるからだ。
 清貧とまではいわないが、およそ成金趣味とは無縁であるように思われる瞳が、自宅でこともあろうに田中角栄などに代表される、庭の池には錦鯉、という趣味を持っているとは、どうも印象からして馴染まない。
 最初に謎解きをしてしまえば、この池の錦鯉は、瞳ではなく、僕の趣味なのだ。

 以前にも書いたと思うが、両親ともに生き物の飼育が苦手だった。つまり犬や猫を飼うという趣味を持たなかった。むしろ犬猫は嫌いだった。
 ところが、その反対に、僕は生物の飼育が好きだったのだ。そこで折り合いをつけて、飼うことを許されたのが淡水魚だった。元住吉の社宅にいたときは熱帯魚のグッピーを小さな水槽を買ってもらって、一時期飼育していた。
 国立に引っ越してきたら、庭に差し渡し二メートルほどの心の字池があったので、僕は金魚を買ってきて、そこに入れたのだった。 のちに、なんと四坪強の真四角な池を造ってもらって本格的に錦鯉を飼いだす。
 この池を基礎にして瞳の書斎を作ろうとしたら、いつの間にか全部新築にして変奇館となった経緯は、すでに書いている。
 『男性自身』の第396回「ハヤ」で、瞳はこの池の中に様々な淡水魚を入れて楽しんでいたと書いている。

 -私の家は、その一部が、半地下になっている。(中略)水槽に鯉がいる。私は設計者にひとつだけ注文した。すなわら水槽の一部分をガラス張りにして、鯉の横っ腹が見えるようにしてくれと言ったのである。(中略)池の中から魚を見ていると、それだけで気分が紛れることがある。(「ハヤ」)

 ということなのだが、池を造ってくれと言ったのも、ガラス張りの小窓を造ってくれといったのも、僕だったように記憶している。
 しかし、生物嫌いの父が、それを見て気分が紛れたとしたら、以て瞑すべし、というか、ちょっとした親孝行だったと思っている。
 瞳はこの水槽にハヤを入れた。一緒に錦鯉の稚魚を買いに行ったとき、養魚場にいたハヤを買ったのは瞳だった。ハヤを飼うのは難しいと僕は思ったのだが、品種改良よりは野生のままの自然を瞳は好んだようだった。