はじめてのクーラー

「変奇館」にはじめてクーラーを導入したことを書いているのが、『男性自身』シリーズの第407回「カラスミ奇談」だ。
 前にも書いたことがあるかもしれないが、新築された瞳の自邸(変奇館)は南側が全面ガラス張りというものだった。
 当時は隣近所も建て混んでいなかったので、建築家は北側も全面ガラスにすると言った。
 さすがに瞳は勘弁してください、それではまるで僕が金魚鉢の金魚になったような気分になります、と言って、そのアイデアを変更してもらうことにした。

 あのころは南側は瀟洒な山小屋風のお宅だったが、東側は百坪ばかりの農地である栗林、西側は町工場の跡地で無人だった。
 北側のお宅は、砂利道を隔ててお茶の木の生け垣で、奥がこんもりと庭木が繁った広いお庭だった。
 だから南北が全面ガラスという建築家の発想もないわけではなかった。しかし、今現在の変奇館の周りが建て売りに取り囲まれている様を見たら、彼女も考えを変えたことだろう。
 とはいうものの、南側は全面ガラス張りである。冬は寒く、夏はことのほか暑かった。
 しかも、クーラーは新築当初、設備されていなかった。
 暑ければ窓を開ける、というのが当時の常識でもあった。確かに当初は涼風が通り抜けていくこともあったが、少しずつ温暖化がはじまっていたのか、数年後には耐えられないほどの熱気となったのだった。
 こうして瞳の仕事場にクーラーを導入することになったのだが、当時の製品は今のものとは違い、サーモスタットの性能も悪かったのか、動けば寒すぎるし、スイッチが切れれば灼熱、というものだった。
 瞳も、これでは冷房病になると思って、クーラーの使用は最低限にしていた。

 瞳の死後、僕は母を説得して家中の窓をペアガラスに変更した。それでもサッシは既存のアルミサッシのままであったから効果は限定的だったが、それなりに夏の暑さをしのげるようになった。同じ頃に導入したエアコンの能力も以前に比べれば天と地の違いである。
 今、やっと変奇館は建築家の構想通りの住み心地を実現している。
 しかし、瞳はとうとう、この家の完成形を見ないまま、体験しないままになってしまった。