樹木の二年後、三年後

手のひらが赤く腫れ上がるという奇病におかされたと書いているのは、『男性自身』シリーズの中の、『変奇館日常』(新潮社・刊)、「木の恨み」(第393回)一九七一年の『週刊新潮』七月三日号だ。妻の治子は瞳に、「きのせいよ」と言った。
 それを瞳は、「気のせいよ」と聞き間違えたのだか、本当は、「木のせいよ」という意味だった。

 瞳は庭の雑木の剪定に励んでいる。その切り方はずいぶん乱暴で、そのせいで樹木の恨みをかった、というのが治子の意見だったのだ。樹木の恨みによって変な病気になったのだというのだ。
 それを仲のよい友人となった仏教彫刻の作家である関頑亭先生が、ため息まじりに忠告するのだった。
 頑亭先生によると、瞳は樹木の下のほうの枝を切ってしまうというのだ。
 「もしかしたら、そうすれば、早く大きくなると思っているのではないですか」
 と頑亭先生は忠告する。
 頑亭先生は樹木の枝を切るとき、よく切れる鑿でサクっと切るという。
 「人間だってそうでしょう。よく切れるやつで切られれば痛くない」(「木の恨み」)とおっしゃる。
  - 私は、そうかといって、格別に植木が好きだというわけではない。樹木に関する知識は乏しいし、どちらかといえは薄情なほうではないかと思う。(「木の恨み」)
 頑亭先生は、しょっちゅう訪ねてきて、変奇館の庭を見ると、よくなりましたね、この木は大きくなりますよ、と言う。
 - 彼は植木に関しては非常に楽天的であるように思われる。そうして、私は彼の言葉によって、いい気分になる。(「木の恨み」)

 瞳は長生きしたいと思うと書いている。それは、この植木が二年後、三年後にどうなるか、どれほど大きくなるか、見てみたいというのだ。
 - 来年の春に、辛夷がどんな花をつけるかと考えるのは非常なる楽しみである。私が愛しているのは樹木ではなくて、そのような歳月ではないかと思うことがある。(「木の恨み」)
 これが瞳の根本思想ではないだろうか。