江分利満家の方かい 山口正介

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せんだって山口瞳の「電子版全集」の配信開始と関連づけてちょっとした講演会のような催しものがあった。僕も講師として招かれたのだが、その折、変奇館の雑木林はどうなったのかという質問がでた。
 とりあえずは、庭は当時のままですとお答えしたのだか、少しばかり言葉が足りなかったと反省している。詳しくは「チルチンびと広場」を読んでくださいとでも言えばよかったのだ。

 しかし、今現在、この電子版全集に解説を書いている関係で、瞳が三十余年をついやして週刊誌に書き続けた、エッセイ『男性自身』を改めて最初から読み返している。
 それで分かったことは、件の庭の植栽が何度も大胆に変更されているという事実だった。
 僕は変奇館が新築された際に、更地となってしまった十五坪ばかりの庭に奥多摩の雑木林から実生の雑木の苗を何本か持ち帰り、それを植えたものだとばかり思っていた。その雑木が大きくなって林立するようになったので、数本を伐採して、全体が整えられたのだと錯覚していた。
 しかし、瞳が一時期、椿に凝って、購入したものを何本も植えたときに初代の雑木はほとんど廃棄されていた。
 そして、数年後にチャドクガの大発生で庭にも出られない状況となり、椿は三本を残して谷保天神の林に寄贈された。瞳は害虫や、その駆除についてまったく無知だったのだ。 その後、東北の知人から雑木を寄贈されている。また、散歩の折に府中の大国魂神社の参道に出ている植木屋で苗木を購入したり、高速道路の国立インター付近にあった山野草専門の植木屋さんで多年草の植物を買って植えていた。つまり雑木林は何度も植え替えられていたのだ。

 瞳の死後、毎年のように大木が枯死した。そして、いま現在、瞳が植えた樹木のうち、生き残っているのは数本にすぎない。
 その中にあって、雑木林にするならば、外しましょうと植木屋が言った木蓮とコブシが、今や立派に育ち、庭の主役となっている。いずれも購入時にはひょろひょろした粗末な幼木であった。