家を建てる

山口瞳が家を建てた経緯はいささか複雑である。本来、この国立の家は借地借家であり、僕が地元の中学高校一貫の私立に通っていたので、ここに住むことになった。
 それに先立ち、瞳が直木賞を受賞し、週刊誌の連載もはじまったので、サントリーに辞表を提出したという事情があった。週刊誌の連載というのは週刊新潮の「男性自身」シリーズのことだ。さすがにサラリーマンと小説家の二足の草鞋も忙しすぎれば不可能にある。

 そんな経緯で瞳は辞職し、それにともない社宅を退去せざるを得なくなる。そんなとき、僕が通っている学校の近くに引っ越すというのが、一番合理的だった。木造二階建ての借家に入り、しばらくしたら、大家さんがこの家を買ってくれ、と言い出した。瞳は僕の高校卒業を待ってもう少し交通の便がいい都心なり荻窪あたりに引っ越すつもりだった。しかし、買ってしまったので、おいそれと移動することができなくなった。収入が不安定である小説家に銀行が融資してくれたのは、妻である治子の力が大きい。どういう訳だか、銀行員などにひどく顔が利くのだ。それでも、収入がなければ、どうしようもない。ちょうど地方紙の新聞連載がきまったので、それをまるごと住宅ローンに回すということで、銀行側も納得したようだった。
 大変なのは小説を書かなければならない瞳だった。数年後に新築するときの事情もほとんと同じだった。

 「男性自身」シリーズの中の「少年たちよ、未来は」の「女の顔」でこのことを書いている。-私は家を建てた。建築費の半分以上が借金として残っていて、借金とその利息の支払いに追い回されているが、私が建てたといっていいだろう。しかるに実際には、(中略)この家を建てたのは私の女房である。-
 妻、治子の胆力(?)とちょうど定収入である新聞の連載があって、この家はできた。