江分利満家の方かい 山口正介

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話は前後するが、変奇館が完成した当時のことだ。庭は五間の三間、つまり十五坪程度の更地であった。
 父、瞳はつてを頼って奥多摩の清酒、澤乃井で知られる小澤酒造株式会社の裏山に分け入り、その辺りに生えていた実生の雑木の苗木を数十本も譲り受けた。
 太いものでも直径五センチほどだっただろうか。辺りはにわかに深山幽谷とまではいかないが、新緑が美しい雑木林になった。
 ここで、関頑亭先生が庭には延段が必要だと提言なさった。当時でも頑亭先生の一言は絶対であった。

 図らずもというか、具合のいいことに、庭の片隅に人の握り拳ほどの丸い石が一山、積んであった。
 変奇館が建てられたとき、庭に池をつくることになったのだ。これについては別のところで詳述したいと思いますが、その池の排水のために庭の一隅に井戸を掘ったのだった。この井戸堀に関しては瞳がどこかで書いていたと思う。職人の仕事に感嘆した印象が語られている。
 水が出るところまで掘る必要はなかったのだが、古い河原の石が堆積しているところまでは掘り下げたのだった。そのとき出土した石が庭にそのまま積まれていた。かつては河原の石だから、角が削れた滑らかな石だった。 

 これを延段に利用しよう、というのが常日頃からアイデアマンの頑亭先生の思惑であった。小柄だが屈強な頑亭先生が庭にしゃがみ込むと、やおら石を片手にポンポンとサーブをする前のテニス選手のような動作をする。
 なにをしているのですか、と僕が聞くと、石にはかならず平らな面があるのだ、とおっしゃる。そこを上にして延段を組めば、平らな延段ができるということだった。
 延段の幅に地面を少し掘り下げた。上から見ると漢字の「入る」に見える二又状、裏木戸を起点として二筆で入の字型にするのは、来客が多いという縁起かつぎでしょう。
 そしてジグソーパズルのように縁から石を置いていく。およそ一日で立派な延段が完成した。