頑亭邸炎上(2)

頑亭先生のお宅がほぼ全焼した。貴重な美術品を含む後片付けは神経を使う作業であっただろう。
 脱活乾漆の鯰で知られる頑亭さんは風呂場で鯰の彫刻を乾かしていた。
 ご存じのように漆は湿度がなければ乾かないという不思議な性質をもっている。だから作業工程の一環として風呂場に設えた棚にしばらく乗せておくのだ。この三尺余りの鯰が火災のとき、浴槽に落ちた。その結果、上半身が焼け残り、下半身が黒焦げという鯰の彫刻が出来上がっていた。
 こうした自然の造形(?)を頑亭さんは愛している。図らずも大傑作が生まれと喜んでおられた。

 当然、ご自宅を新築しなければならない。木彫家の澤田政廣先生が、いままでは真贋を見る目がなかったかもしれないが、いまは良いものだけを集められる、とおっしゃった。 
 建築に関しても同じだろう。これまでは失礼だが、古い普請の平屋だった。
 しかし、いまや頑亭さんは京都の宮大工が教えを請う、というほどの木造建築の権威となっている。おいそれと新建材などで新築するわけにはいかない。
 木造で瓦屋根、一部に半地下と中二階があるものの、基本的には伝統的な民家と同じ間取りとした。
 引き戸の玄関は広いたたきの土間につながり、手前に神棚のある三尺高い日本間、その奥が床の間のある広い客間。南側は庭に面して広い板張りの廊下となる。北側に台所と食堂。トイレと風呂場だ。

 中二階と半地下は瞳の変奇館の影響である。実は、若いころはオートバイを乗り回したというモダンな側面ももっていらっしゃる。
 もちろん無垢材で、すべて臍穴を切って、蟻継ぎなどで施工し、三十坪余りの建坪でも釘一本、使っていない。
 この工事が一向に進まない。瞳があきれて質問すると、雨の日は木がくるうから、作業をしないという口伝がありますと頑亭さんは平然と答えられた。