江分利満家の方かい 山口正介

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まだまだ寒さが残る三月二五日、谷保のヤキトリ屋「文蔵」で父、山口瞳と関頑亭先生が飲んでいた。「文蔵」は瞳の著書「居酒屋兆治」のモデルとなった店だ。
 父の作中、純薫として知られる、頑亭さんのご長男が飛び込んできた。頑亭先生のご自宅が火事だというのだ。このときのことを瞳は、不思議なことに純薫は信号無視をしても、交番で停められなかった、と書いている。 一九七七年三月二五日のことだ。当時、頑亭先生は五八歳。頑亭先生はただちに飛び出したが、そのあとが大変であったらしい。もちろん火事は大事件なのだが、問題はそこではなかった。

 関家は代々、この地に居を構える旧家で名門だ。消防署はもとより、地元の消防団も押っ取り刀で駆けつけた。しかし、消火活動がとんと進まないのだという。早く消してくれと頑亭さんが懇願すると、柱一本残っていても、全焼じゃないと火災保険が降りないよ、と呑気な返事がかえってきた。
 うちは火災保険なんか入っていません、と言うと、一同があわてて消火にあたった。
 そういう時代だった。今は鉄筋コンクリートの家も多く、全焼するなどめったにないので、半焼でも保険はおりるとのことだったが、頑亭先生のお宅は古い木造の平屋だった。 幼少のころから仏教美術に目覚め、収集した書画骨董は数知れず、というお宅だ。

 数日後に焼け跡を訪ねると、頑亭先生が濡れた古文書を隣接する大学の土手で乾かしていらっしゃった。それだけでも膨大な量だ。頑亭先生の師にあたる木彫家、澤田政廣先生が陣中見舞いに現れる。
 「焼けてよかったじゃないか。これまで君が集めた物の中には偽物もあった。今は真贋を見る目も育っている。これからは本物だけを集められる。これは得難い機会だ」おおむね、そのようなことをおっしゃって慰めたという。瞳は、このことを聞いて、澤田さんと頑亭さんこそ本物。すごいことを言うものだと感動するのだった。頑亭先生は今年九七歳、まだまだお元気だ。