まずはじめに。ご挨拶

築四十五年、この家はまだ完成にいたっていない。
父、山口瞳が自宅を新築することにした。完成が1969年の一月で、すぐに入居しただろうか。

当初、近所のひとはガソリンスタンドができると思っていた、という現代建築であった。
瞳が「常に工事中のような家」と注文を出したことにもよるが、半地下、一階、中二階という変則的な建物で、極太のH鋼を骨組みに当時は工場建設にしか使われていなかったというシポレックスという発泡コンクリートパネルを張って壁と天井にしていた。窓もやはり当時はまだ工場でのみ使われていたというジャロジーであった。一般住宅に使われたのははじめてということで会社のひとが見学にみえたと記憶している。ついでに書き添えれば屋根はパネルの上に鉄道の無蓋車用のビニールシートを張ったものであった。
現代建築というよりは前衛的な実験住居であっただろうか。ローテクとかハイテクなどというものが流行したころでもあった。
瞳はこの家をさっそく敬愛する永井荷風の偏奇館にならって変奇館と名付けて終生、ここで暮らすこととなる。
その後、1978年に大規模な増改築をほどこして二階が増設された。
木の家と薪ストーブを奨励する「チルチンびと」に超ハイテクな現代建築の家屋の話とは不思議に思われるかもしれないが、これは半世紀にわたる鉄筋コンクリートから天然素材にいたる悪戦苦闘の物語である。

いま、我が家を訪れたかたは、かなりウッディーな家という印象をもたれると思う。父が変奇館と名付けた家を受け継いで、僕は内部を少しずつ改装している。その目指す方向は木の家と薪ストーブのある生活なのだ。
これから切妻屋根の利点やペアガラスの導入などテーマごとに詳述したいと考えていますが、伝統と革新の相互理解というか折衷というか、双方の批判でなく長所短所を実体験から書いていきますので、おつきあいください。

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