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チョット珍しい靴のサイド汚れまで落とせるようになっているマット
チョット珍しい靴のサイド汚れまで
落とせるようになっているマット
床に設置される泥落とし。道が舗装され馬糞も見掛けなくなって、今では庭仕事のあとぐらいしか出番がない。
床に設置される泥落とし。
道が舗装され馬糞も見掛けなくなって、
今では庭仕事のあとぐらいしか出番がない。
これは扉の横の壁に取り付けるタイプ。穴に足を突っ込んで泥を落とす。
これは扉の横の壁に取り付けるタイプ。
穴に足を突っ込んで泥を落とす。

これだけ日本の暮らしが西洋化しても、まず変わらないのが靴を脱いで家に上がる習慣。我々は畳の暮らしが長かったので床に腰を下ろしたり横になることに抵抗がありません。そこを靴のまま歩くことは考えられないでしょう。かといって西洋人が床の汚れを気にしないかといえば、そうでもありません。多くの家では玄関の脇には泥をこそぎ落とすためのブーツ・スクレーパーが装備され、ドアを開けるとヤシやブラシのマットにしつこいぐらい靴をこすりつけます。室内履きに履き替える家もありますし、玄関で靴を脱いで素足ですごしている家も珍しくありません。ただ、椅子とベッドの生活なので我々ほど床の汚れに神経質ではないようなのです。

 

日本では家の中は完全にプライベートな空間で、往来のようなパブリックな場所とは一線を画します。それが西洋のように靴のまま入れる家だと、無意識のうちに外と連続感が生まれます。家の中でも寝室などの個人の空間以外はセミパブリックとでもいうような意識で、プライベートな空間という感じが薄まります。靴を履いているせいもあるのでしょうが、自然と人前に出ても恥ずかしくない出で立ちでいることが多く、友人知人と気楽に家に入ってチョットお茶でもなんてことになるのです。これが、西洋人の社交的な一面の基になっているような気がします。当然そうなるとインテリアにもそれなりに気を使うようになるのです

 

しかし、考えてみると、かつては日本にも同じようなセミパブリックな空間というものがあったような気がします。それは昔の日本家屋に於ける土間の台所や縁側と呼ばれる外に面した廊下、軒下に設置された濡縁などで、そこは気取らない社交の場となっていたように思います。土間では近所の主婦が集まって井戸端会議、縁側に腰掛けお茶と漬け物で世間話しなんてことは、かつてはありふれた光景だったはずです。それが建物が洋風化していくにつれ、どんどん失われ、今となっては、よほど田舎に行かなくては見ることもありません。それに伴って家は外界との関係を拒絶する、鎧のようなものになってしまっているように感じます。

 

都会ではマンション、アパートはもとより、戸建ての家に住んでいても近所との関係が稀薄になってきています。家の中は家族だけのもので他人を招き入れるには準備が必要となりがちなので、なかなか気楽にという訳にはいかないのです。これは形だけを真似た西洋風建築に住むことからくる歪みなのかもしれません。家の中で靴を履けば解決するとも思えませんし、広さの問題もあるので、欧米と同じような空間も作るのは難しいでしょう。

 

人間らしく暮らしていくには、現代の日本にあったセミパブリックな空間のありかたを意識することが必要なのかも知れません。

 

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