「偉大な人間は観念について語り、普通の人はモノについて語り、小さな人間はワインについて語る。」

-フラン・レボヴィッツ


毒舌とウィットでアメリカ社会を風刺、論評した女性作家の言葉で、ワインをネタにされると少しムッとしてしまうのですが、これは皮肉であり、ユーモアに富んでいて笑ってしまいます。

 

巷では「何とかマニア」みたいな人たちが集まり、その場を共有し、いろいろと情報交換など、それはそれは楽しい時間を過ごしたりしています。もちろんぼくもその一人で、時にそんなことをして楽しんでいますが、これは趣味の話。

 

充実した人生は、モノやワインを語るようなことだけで得られるものではありません。それは「自分が何も知らないということを自覚すること」が、発想の起点となります。世の中の常識、固定観念に疑問を持ち、枠に囚われたり、頭でっかちにならないように注意が必要です。自分が正しいと思っていることさえ、時が経つと古臭い考えともなります。

 

まずは、素の自分に自信を持つことが、自分らしい豊かな人生を生きる基本中の基本になるのではないでしょうか。 だれもが、キャリアやモノなどに依存してしまいます。お金を手にした途端、似合わないものを身に付けることで評価してもらおうとしたり、学歴や資格により手に入れた安定ほど、それを失うことを恐れるのではないでしょうか。

 

それってどうなのでしょう? ぼくはすべてを失いそうになった時、はっきりと確信しました。「案外それは楽かもしれない。人は愛とアイデアとサービス精神さえあれば、丸裸でも、また再び幸せを手に入れることができる」と。

 

幸か不幸か失わずに済んだのですが、ギリギリの状態を経験したことが、すごく自信につながりました。丸裸の自分と、日常をさらけ出した農場。これがなかなか味がある。そして出会う人々。自分と異なった環境・考え方で生きてきた人と話すと選択肢はいろいろとあることに気付きます。なんだかとても気持ちいい。たぶんカッコつけていたらこんな気持ちにはなれないのだと思います。

 

さて、今年もルーラルカプリ農場ニンニク畑、またしても失敗してしまいました。こんな思いはしたくありませんでしたが、おかげでまた謙虚になれます。

 

方向性は明確です。目先の結果に一喜一憂することは程々に、どうせ何が起こるか分からないのだから、何事も楽しむ気分でいくのみです! 素の自分に磨きをかけるために、軽やかに生きる。さて、次はどこへお出かけしましょうかね?

 

 

 

 

 

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