以前は、町中でも落ち葉を焚いたり、建築現場で端材を燃やして暖をとるのは、見慣れた風景でした。
調理や暖房に必要であった火が他のもので代用可能になっても、火に魅力を感じたり、引き寄せられるように、火のまわりに集まってしまうのは何故なのでしょう。 
炎を眺めたり、焚き木を組み変えて燃え具合を調節していると、何も考えない、いわゆる「無心」の状態になっている自分に気付きます。また、火を間に向かい合うとリラックスして会話できるような気がします。時々炎に目をやることで、不自然な間を解消できるのかもしれません。
マンション暮らしの私は、暖炉のある家がうらやましくて仕方がない。
外国の小説の中に、暖炉のあるマンションの描写が出てくるたびに、何故日本には無いのかといつも思います。(そう思うのなら、自分で設計しろ!って話ですよね。ちなみに超高級マンションやガス等を使用した暖炉はあるかもしれませんが・・・)
出張でよく行く工務店の展示場には、どこも薪ストーブがあるので、時間があるとストーブをいじっています。
薪ストーブより扱いは大変ですが、造りがシンプルでよりダイレクトに炎を感じる「暖炉」が理想です!

これは17年前、松岡信夫さんに作っていただいた暖炉です。

これは17年前、松岡信夫さんに作っていただいた暖炉です。