三十三間堂

新年の一般参賀がコロナ禍で中止のこと。
参賀が執り行われる皇居新宮殿について少々。

皇居新宮殿は恩師・吉村順三の基本設計です。なぜか実施設計を行わず途中で降板している。世界広しと言えども国の宮殿設計を途中降板した建築家は他にはいないらしい。
いくつかの降板理由を聞きましたが、最大の理由がなにか、私には未だに解かりません。

一般参賀で人々が集まる広場に面する長和殿。
かなり長い一直線の建物です。
吉村順三といえどもこの長さには不安があった筈。
氏と共に京都に訪れる機会があって、三十三間堂の前を通ると、「三十三間堂、この建物はいいよ」、のお言葉。
長い一直線の長和殿を設計するに当り、氏が拠りどころにしたのは「日本には三十三間堂がある」だったのかも。
シンプルでかつ豊かなプロポーション。軒が深く長い屋根。
三十三間堂より更に長い長和殿のアイデアはここから来たのかも知れません。

そして、当時の設計スタッフだった先輩から聴いた話。
新宮殿の平面計画ではいろいろな案が考えられたが、氏が決して譲らなかったことは。
「正殿と長和殿の重心を揃えて、決してずらさない」
他の建物は自由に配置して、権威的シンメトリーではなく全体を伸びやかに構成すること。

私はこの配置は京都御所が手懸り、と思っています。
承明門と紫宸殿は重心が揃っていますが、奥の建物の配置は自由で伸びやかです。シンメトリーではありません。
新宮殿の正殿は京都御所の紫宸殿を参考にしているそうですが、氏の想いは、より御所の配置にあったようです。

「新宮殿は国民のものである」
氏が新宮殿設計に当り、基本方針として主張した言葉です。
当時としては斬新な主張であり、確固たる想いと深い見識に設計行為の真髄と奥深さを感じるところです。

新宮殿

新宮殿