デッキ

縁側は内側だから何の問題もないのだが、濡れ縁となると風雨にさらされるだけに傷みに気をつけなければならない。そのため、以前は庇や軒先から濡れ縁が出ないようにつくっていた。もっと出して月見台、あるいは大径木の芯材ばかりを集めて耐候性を高めた清水の舞台のごとく、空の下まで出て行きたかった。家のデッキをそんなたいそうな仕様でつくれるわけもなく、空の下のデッキはかなわぬ夢でしかなかった。
あるとき塗料や薬剤を使わなくとも腐れに強く、しかも手頃な価格の木材に出合った。北米産のレッドシダーである。分類ではヒノキ科ネズコ目。ヒノキチオールも採れる。当時ネズコが何なのかも知らなかったが、町屋の面格子に使われると聞いて、雨掛かりでも傷みにくい耐候性のある木材であろうと察しがついた。
流通しているレッドシダーの部材は寸法体系が使いやすく整えられているので、手を加えなくてもそのまま利用できる。加工手間をかけずに使えて雨掛かりの場所でも使いこなせるという、いたって便利な木材だ。いくら腐れにつよいとはいえ、まったく傷まないわけではない。材を組みあわせるてつかうときはできるだけ加工せず、雨後に乾きやすくしておくのがベストの使い方だ。
耐候性のある材だから、とうぜん外壁にも使用する。焼き杉のように表面を焼くことも塗料でカバーすることも必要ない。それでも心配で、レッドシダーを使いはじめた頃に浸透性の撥水剤をつかってみた。表面にできた球形の水滴を”スゴイ”などと眺めていたが、数年して撥水剤の効力がおとろえてきても、材そのものはまったく傷まないので使うのをやめた。

レッドシダーは変色の仕方に味がある、ということが使い続けるうちにわかってきた。
陽がよく当たり、雨も当たるところはすぐに色が抜ける。状況によってはシルバーグレーとなって美しく輝く。陽は当たるが雨はそれほどでもないところは少し変色するが、素材の色は残る。陽も雨も当たらないところはまったく変色せずに素材のまま残る。
木材は一般にそういう性質かとも思うが、レッドシダーの変化はとくに激しいと感じる。経年変化も含め材の変質を先取りして表現する、それもデザインの一部なのだとあらためて思った。
「素材」は手をかえ品をかえしなくとも、表情の変化を楽しめるところがいい。素直な気持ちで素材を活用してゆきたい。 本来なら国産のネズコを使いたいところだが、採り尽くしてしまって 現在は市場に出回っていないようだ。植林してネズコを再生できればと願っている。

濡れ縁やデッキは空間の変化を楽しむための仕掛だ。
日本人は部屋から濡れ縁やデッキへほとんどの人が素足で出る。そうしたくて毎日濡れ縁やデッキを雑巾掛けする人もいるくらいだ。部屋も土足の西洋人なら靴のまま出るのだろう。いずれにしろ濡れ縁やデッキは”外の床”である。軒下に寝ころんで雨の景色を眺めるのもよし、もっと先のデッキで、天の川を眺めながら”はやぶさ2”に想いを馳せるのもよし。内の床、外の床、空の下の床、それぞれの宇宙がある。
周辺の状況から閉じたかたちになると、中庭には他人の視線がまったく来なくなる。外からの視線がなければ気にすることも不安感もない。精神が安定して空間感覚が拡大すれば、そこには部屋と中庭が一体化した大宇宙が出現する。
2階建て+閉じた中庭だったら立体的なデッキをつくりたくなる。閉じていれば外階段があっても防犯上の心配はない。部屋から直接外に出て、地球の重力を楽しみながらステップを一段いちだん踏んで、つい踊りたくなるような魅力的な”踊り場”にたどり着く。先ほどまで居た部屋を振りかえり、空を見上げ、手近な植物や昆虫たちと会話する。踊り場で反転してまたステップを踏んで、目線の高低差による景色の変化を楽しむうちに、気がつけば大きく空間移動している。つくりようによっては、たとえ小さな中庭であろうと、高低差があって景色の変化もある長~い動線を満喫できるのだ。

立体デッキ