間戸

人は生まれるとすぐに呼吸をはじめ、止まれば死んでしまう。
だからこそ良い空気・新鮮な空気が健康の大元。光も健康には必要だが無いからといって死ぬわけではないし、眠るときには邪魔でしかない代物だ。
光と空気、どちらを重視するか。比較する意味も必要もないのだが、家の設計をするにあたっては「まず空気」と言いつづけながらやってきた。
窓は部屋の空気がよどまないように位置決めしてから、防犯やプロポーション、光の入り具合などを考慮しつつ大きさを定める。いずれにしろ、まずは換気である。

西洋の組積造に穴を開けるのは至難のわざだが、日本の土壁ではそれほどでもない。小さなものなら「木舞」を塗り残せばすむことでもあった。
換気のための小窓でも時には塞ぎたいこともある。開け閉てする必要から、そこに何かが欲しくなる。建具の発明は、空気や人の出入りの必要性からなされたものだと思う。

製材の道具や技術とともに、建具もまた進化したと考えられる。
細い部材や薄い板が手に入れば大きさも形も自由になり、それまで柱と柱の間を土で塞いでいたものを建具に置きかえることができるようになった。
和紙が使えるようになると、それまで開閉のみの建具の機能が、閉めたままでも採光できる仕切りとして活用される。デリケートな明るさをもつ「和」の空間を演出できる道具を、ついに手に入れることとなったのだ。
土壁に開けた窓はただの穴でしかない。土壁に代えて柱間に建て込んだものを建具と考えれば、日本のマドを表す云い方は「間戸」が正解かもしれない。
建具全体を支える框や、面の部分の板や和紙、和紙を補強する小骨の組子などが組み合わさって構成される建具ならば、それをデザインしたくもなるのが心情だろう。

和紙を幾重にも貼りかさねて断熱性能を高めた襖は、結果として防音性能も獲得することとなった。框にすだれをはめ込んだ「簾戸」、採光目的の「障子」、断熱/防音の「襖」、そして「舞良戸」。これだけのバリエーションがあれば空間の演出も自由自在、壁もいらなくなった。
誰だったか、日本の建築をはじめて観た建築家が描いたスケッチには、床と、宙に浮いた屋根だけが描いてあった。よくぞ日本建築の本筋をとらえたものだと思う。

庭側の間戸を開け放てば内と外の境はなくなる。
あえて違いを言うなら、内は床、外は地面。内は天井、外は空ということか。それは内か外か、二者択一の洋の「境」。和の「境」は軒があることでグレーゾーンが生じて柔らかくなる。そこに広縁や濡れ縁が加わるとグレーゾーンはさらに曖昧になり、内から外へと空間は滑らかに変化することとなる。

建具による間仕切りは、光や風や音などの通りぐあいによって建具が使い分けられる。その見せ方によってはシンプルにも、バラエティに富んだ空間にも変化させることが出来る。

「間戸」を使いこなして伸びやかな空間づくりに励みたい。

間戸