愛媛県内子町石畳「屋根付き橋と花菖蒲」を訪ねて

愛媛県内子町石畳「屋根付き橋と花菖蒲」

弓削神社の由来
弓削神社は、応永三年(1396)に、中世伊予国の豪族といわれた河野通直の子孫で、河野宗賢が創建したと伝えられている。

弓削神社は、河野一族の城主が石畳を離れる際に、天山城(伊予市中山町永木)の南にあたるこの地に神社を創建し、河野家先代の総支配下にあり、海の要塞であった弓削島・弓削神社から「天照皇大神・天日鷲主命・三女命」を歓請して祭神とし、神社を自らの城に見立て、回りに池を築き「掘り」とし、中央に橋を架けて神を祀ったとされる。

近世に至っては、伊予市双海町高岸にある三島神社の末社として祀られ、明治四三年(1910)岡の成・河内神社、恵比寿神社(所在地不明)等を合祀し、現在に至る。

弓削神社では、氏子の人たちが「日参り信仰」を続け、一日も欠かすことなく旗を揚げて「五穀豊穣と家内安全」の祈願が続く。実に神秘的な場所である。

愛媛県内子町石畳「屋根付き橋と花菖蒲」

愛媛県内子町石畳「屋根付き橋と花菖蒲」

愛媛県内子町石畳「屋根付き橋と花菖蒲」