其之十二 「もてなす」ということ 其之十二
「もてなす」ということ

「先生さすが・・・ポットから注がれる湯の線が細くて美しい・・」中国茶の本を見つけてはついつい買ってしまう私。その本の中に私の先生がお茶を淹れる姿を多く見つけることが出来ます。茶藝を披露するより座学を得意とした先生でしたが、授業の合間に先生の淹れるお茶はいつも美味しかったし、湯を注ぐ線が美しいのは、お茶の美味しさを知って欲しいと思う気持ちから身に付いたものだと思います。


茶藝師が身につける動作一つに湯の注ぎ方があります。ただ注げばいいと思われがちですが、その動作一つでお茶の温度調整や、茶葉を開かせるために撹拌することが出来ます。沸騰した湯800ml程入ったポットを片手で持って、少し高めの位置から茶壷(チャフウ)やグラスの小さな口に均一な湯量で注ぎ込む。ポットに入った湯は結構重くて上手く狙いが定められず、勢いよく注いでしまった湯は手や顔にはねて熱い!美しく注ぐためにお湯を操ることは難しく、不器用な私は何年経ってもなかなか上達することが出来ないでいます。


湯を上手に操り、注ぐのは「茶藝」ですが、それを支える「道具」も大切です。ポットなら電気のものか、アルコールランプをつかったものか。注ぎ口は細いのか、太いのか。飲杯の薄さ、柄、色、陶器か磁器か。テーブルクロスの色や質感、どれも「茶藝」を演出し、中国茶を美味しく淹れ、お客様をおもてなしするための要素となります。


「道具」はとても魅力的です。はまってしまい、加減が出来なくなると、多くの物を買いそろえたくなります。きらびやかな茶席は美しいですし、見るものを楽しませます。ですが「弘法筆を選ばず」と言われるように、茶藝師もまた道具にばかり頼るのではなく、どんな条件でもお茶の美味しさを最大限引き出し、そのお茶でもてなす人々を楽しませることが大切なのだと思います。


水を変え、道具を茶葉にあったものを使えばより美味しく淹れることが出来る。それは少し学べば誰でも出来ます。たとえ質素な道具を使ったとしても、自分のために淹れてくれたお茶の美味しさが記憶に残り、そのとき聞いた話や表情、周りの匂いや明るさがお茶の味と共にその人の心に蘇る。そんな「おもてなし」の出来る茶藝師でありたいと、日々精進の私です。