雑誌「チルチンびと」70号掲載 長野県 ㈱ダイコク
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164 ダイコクの創業は昭和38年、大工だった先代が興した工務店である。戦後の住宅産業の変遷の中、二代目となる中澤善智社長がダイコクに入社した平成7年頃は、新建材を使って家を建てるようになっていたという。そんな自社の家づくりを常々疑問に感じていたという中澤社長。「きっかけは単純なことで、長野には木がいっぱいある。なのに何故、長野の木で家を建てないのだろう? そう思ったんです」 そこで、平成15年に社長に就任したのをきっかけに、「信州の木を使った家づくりに取り組みたい」と、方針を大転換することを決意した。けれども社員からは「無理。木が反るし、コストも高くつく」と大反対を受けたという。それでも志を曲げなかった中澤社長は、少しずつ無垢の木の家づくりに取り組み始めた。 けれど、当初は見学会をやっても来場者ゼロということも。「軌道に乗るまでの2、3年は大変でしたね」(中澤社長)。思い切って常設展示場を建てたのは、平成17年のこと。その頃からだんだんと口コミでお客さんが来るようになり、今では年間15〜20棟を手がけるまでになった。コミュニケーションを大切に 今回訪れたHさん一家の住まいも、木の香りに包まれる〈ほんものの木の家〉だ。家づくりにあたって「木の家が建てたい」と考えたHさん夫妻は、いろいろな工務店やハウスメーカーに相談をしたという。その中でダイコクを選んだ決め手は、「私たちの理想を描いたプランを理解し、尊重してくれたから」と奥さまは話す。「他社では『この予算だとこうなりますよ』という感じの対応をされることが多かったのですが、ダイコクさんは私たちの希望を生かしつつその上にアドバイスを加えてくれた。誠実な姿勢にひかれました」 ダイコクには一般的な「営業マ長野県・㈱ダイコク長野の素材を生かしてつくる〈信州の家〉建てるなら、地元長野の材を使って、無垢の木の家を建てたい――。35歳で家業を継ぐことになったダイコク・中澤善智社長が、家づくりに取り組むにあたって、まず考えたことだ。それから、中澤社長の〈信州の家〉づくりの挑戦が始まった。写真*輿水進 文*上野裕子チルチンびと「地域主義工務店」の会下2点/取材当日は、近くに住む奥さまのお母さまがいらしていた。取材後にふるまわれたトウモロコシは、お母さまが畑で育てた穫れたてのもの。デッキの前には庭が続く。「庭で子どもたちを遊ばせられるのが安心」と奥さま。屋根にはペレットストーブの煙突が見える。

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