雑誌「チルチンびと」90号掲載 「小笠原からの手紙」 
2/2

183前に海嶺が隆起して海上に現れた。その後300〜200万年前頃に激しい地殻変動があり、たくさんの断層が生じて、モザイク状に沈降や隆起が繰り返された。南島は当時父島とつながっていて、さらに西のほうまで広い石灰岩地域であった。父島群島全体が沈降したあと、南島だけはほぼ南北に伸びる直線状の断層面に沿って隆起した。「地ち塁るい」(*3)の島となったのである。隆起は1回で起こったのではなく、徐々に進行した。その様子は、南島に上陸して周囲を見渡すと、何段階もの隆起の跡(海食崖)として見ることができる。 南島は一度海面下に沈降したあと半分ほど隆起したので、沈水カルスト地形と言われている。南島の東西に見られる小さな岩は、隆起できなかったドリーネ壁の頭部である。 南島に上陸するときにボートで入る鮫池という奥深い入江は、海面下に沈んだドリーネである。島の西側の北のほうにあるいくつかの入江状のものも海面下に沈んだドる。ハマゴウには黄色〜紅色の蔓がまつわり付いている。これはクスノキ科のスナヅルで、無葉の寄生植物である。 凹地の西にある扇池の海食洞門から吹き寄せる風による砂の層には、半化石のヒロベソカタマイマイが散在している。南島の外側 南島の東側と西側の断層崖の上は、ラピエ(*4)やラピエが風化した石灰岩がごろごろしている。厳しい環境であるが、クサトベラやモンパノキが点在する。その間にオガサワラアザミ、イソマツ、アツバクコの大小の群落がある。地表にはツルワダンが這う。これらの群落は父島ではほとんど見ることができない貴重なものである。断層崖の海に面して潮の飛沫を被るところには、ハマスベリヒユが一面に生えて小さな赤い花を咲かせる。 ラピエは外側で多く見られ、北部には大きなラピエが多い。ドリーネ壁には一カ所を除き入ることができないので、双眼鏡なリーネである(右ページ地図参照)。中央凹地の景観 上陸地から緩斜面を登ると間もなく峠に辿り着く。眼下に中央凹地が広がり、左手には扇池、奥には陰陽池が見える。白い砂浜が一面に広がり小高い砂丘もある。 凹地を取り巻くドリーネの内壁にはクサトベラの群落が広がる。その中にはモンパノキやヤエヤマアオキが混生している。 クサトベラは小笠原の島々に広く分布する海岸植生の構成木である。モンパノキも海岸性の樹木で、葉の表面にやわらかい短毛が密生し、触るとビロードのような感触がある。このしなやかさから「紋羽の木」と呼ばれる。ヤエヤマアオキは若い卵形の集合果に小さな白花を付ける。この熟した果実のエキスが、健康飲料として飲用される「ノニ」だ。 低木林の内側は砂地となりコウライシバやソナレシバが広がる。ハマゴウの群落もところどころに広がり紫色の小花を付けどで見るとよい。世界自然遺産と南島 かつては常に数頭のネムリブカ(眠り鱶)が鮫池の奥の浅瀬で昼寝をしていた。世界自然遺産になってから多くの人が入島するようになり、ネムリブカもあまり姿を見せなくなってしまった。 外来植物は、以前はタバコ以外はあまり目に付かなかったが、今では20余種定着し始めている。東京都はこれらの外来種の駆除に力を入れているが、クリノイガやタバコなどは激減したが、コマツヨイグサやコトブキギクなどには手を焼いている。 南島には外来のクマネズミが生息し、海鳥の卵や小さな雛を食べ荒らす。また、植物の果実や種子を食べて、天然更新を妨げている。ネズミの駆除は毎年行われているが、絶滅に至っていない。 南島は美しい景観と小笠原の固有種の宝庫である。これを後世に遺すために、多くの人びとが努力している。profileやすい・たかや/1931年生まれ。生物教諭として都立八丈高等学校勤務を経て、78年~91年、都立小笠原高等学校勤務。定年退職後も小笠原に留まり小笠原野生生物研究会を設立。2000年にNPO法人化、理事長となる。同会著『小笠原の植物 フィールドガイドⅠ、Ⅱ』が小社から発売中。上2点—上/今は絶滅してしまったが、300年前には生息していたとみられるヒロベソカタマイマイの半化石が散らばる海岸。 下/岩壁の一部が浸食されてあいた洞門と、そこから波に削られてできた入江は扇池と呼ばれる。小笠原観光の目玉となっている風景。下2点—上/石灰岩のごろごろした地表の間に生育するイソマツの群落。 下/断層崖の上には石灰岩が浸食されてできたゴツゴツと鋭く尖ったラピエが並ぶ。

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る