雑誌「チルチンびと」89号掲載 小笠原からの手紙
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126暮らしの連載NATURES小笠原からの手紙「海洋島なのにセミがいる!?」オガサワラゼミの謎vol.23写真・文=大林隆司「海洋島にはセミがいない」 小笠原諸島は、海底火山が海の中から隆起してできた「海洋島」である。そのため、島にいる生き物はすべて、何らかの手段(風、海流・波、羽・翅など)によりたどり着いたものであるが、人間が暮らすようになってからは、農業などに伴い持ち込まれた「外来種」が多くなっている(小誌87号のミカンコミバエなど)。 セミは卵を枯れ枝や樹皮下に産み、幼虫は地中で数年間を過ごす。そのため、海洋島にセミがたどり着くためには、卵や幼虫が付いた植物苗が人為的に持ち込まれる以外には、成虫が飛んで来るか、産卵された樹木が流木となって流れ着くしかない。そのため、基本的には世界各地の純然たる海洋島(ガラパゴス、ハワイなど)にはセミは分布していない。オガサワラゼミとは? 本種は明治38(1905)年に新種として報告されたセミで、ツクツクボウシの仲間である。本種は小笠原諸島のみに分布するセミ、ということで、1970年11月12日に国の天然記念物に指定された。5〜12月にかけて発生し、特に9〜10月に多くなる。しかし現在、特に父島では外来種であるグリーンアノールの捕食(小誌86号参照)などにより、最盛期以外に声を聴くことはできなくなっている。オガサワラゼミは「外来種」? 小笠原諸島は、明治時代以前には「無むにんじま人島」と呼ばれていたとおり、1830年に欧米系などの人々が住み始めるまでは、まさに無人島であったが、明治時代以降に琉球諸島などからさまざまな植物が持ち込まれた。 実は、九州〜沖縄本島にかけてツクツクボウシの仲間であるクロイワツクツクというセミが分布しており、何と見た目も鳴き声も本種とそっくりなのである! そのため、本種は文久二年閏八月十七日   (1862年10月10日)「もう暦は秋だというのに相変わらず蒸し暑いのお……」彼は心の中でそうつぶやきながら、父島の洲崎村の山道を往診先のウェブ氏宅へ向かって歩いていた。山のそこら中からは大量のセミの声がして、まるで真夏のようである。ふと、彼の頭の中にこんな歌が思い浮かんだ。「秋せみや名も無き山の道すがら」彼の名は「阿あべ部櫟れきさい斎」。その時に遡ること1カ月の文久二年八月廿六日(1862年9月19日)から翌年の文久三年六月四日(1863年7月19日)まで、江戸幕府の命 *1を受けて父島に滞在した町医者そして本草学者 *2 であった。世界自然遺産に登録され注目を集める、小笠原の豊かな自然と文化を、現地在住の研究者が紹介します。おおばやし・たかし/1965年、東京生まれ。1994~2003、2011年~父島の研究機関で働きながら、小笠原の昆虫などの研究・撮影や自然保全にかかわる。小笠原の世界自然遺産関連の各種委員も務める。日本セミの会、日本自然科学写真協会、小笠原野生生物研究会、小笠原自然文化研究所などの会員。島民の一部からは「せみちゃん」「虫くん」と呼ばれているらしい。右上/腹部を反らせて鳴くオガサワラゼミ(♂)。腹部は鳴き声を共鳴させるためにがらんどうである。 右下/オガサワラゼミ(♀)。腹部先端に産卵管があり尖っている。 左/オガサワラゼミの棲む聟島の森。父島、母島だけでなく聟島にも生息している。

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