雑誌「チルチンびと」84号掲載 小笠原からの手紙
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%にまで減少した。父島沿岸の水温記録によると、6月下旬までは平均水温を下回って推移していたが、6月末に急上昇し、以降9月中旬に台風が訪れるまで高水温状態が継続した。サンゴの白化は高水温が原因で起きたと考えられた。小さな楽園は、世界で進行するサンゴ礁の劣化トレンドの例外ではなかったのだ。 サンゴの白化を避ける有効な手段は今のところない。今できることは、何が起きているかをできるだけ詳しく知ることだ。大規模白化から5年が経ち、父島各所に増設した計測地点の水温データから、白化しやすい海域とそうでない海域があることが見えてきた。ボニン・ブルーの海は果てしなく広く深く、私たちの知識はあまりにも限られているが、少しずつ理解を深めていきたい。ミサンゴの一種は、ピンク色の糸のような触手をいつも伸ばしているので見分けやすい。父島の南東にある巽中海岸では高さ数メートルに成長した群体が連なり、山脈のような景観が広がる。20メートル以深の海底は、ナガレハナサンゴの一種が優占する。先端の広がった触手が特徴的で、色彩もカラフルで美しい。スギノキミドリイシは父島の港がある二見湾の湾奥に生育する枝サンゴだ。鹿の角のように枝分かれした枝サンゴが、視界全体に広がる様は圧巻であるが、小笠原では二見湾奥以外からは見つかっておらず分布域は狭い。 造礁サンゴは海の中で大切な役割を担っている。体内に褐虫藻という小さな藻類が共生し、その光合成を支えている。つまり、二酸化炭素を吸収して酸素をつくり出し、有機物を生み出すことで、他の生物を育む生産者としての役割がある。また、造礁サンゴは魚類や無脊椎動物の生息空間となる。生きているサンゴの隙間や骨格の中には、そこを生息環境とする魚やカニなどがたくさんいる。そして、サンゴが死んで石や岩となっても、たとえばその裏側には海綿やホヤなどの固着動物が生育し、それらを食べるウミウシやタカラガイの仲間、隠れ家として利用するエビやカニの仲間も加わり、多様な生物が暮らす基盤となるのだ。生きているサンゴ上で暮らす生物と、死んで岩となった死サンゴに暮らす生物は異なっている。サンゴ礁は大切だが、海中すべてをサンゴ礁に変えようと考えるべきではない。海の生態系は、砂地、転石帯、岩礁、サンゴ礁、藻場など多様な生息環境があり、それらが繋がり成立している。造礁サンゴは死ぬことで今度は石や岩盤へと変化し、異なる生物の拠り所となる。 近年、国内外でサンゴの減少についてのニュースが絶えない。造礁サンゴは、死んでもなお生態系の基盤としての役割を果たすと書いたが、現在地球上で進行しているサンゴ礁の減少はあまりにも性急で心配だ。小笠原は他のサンゴ礁海域と比較して、造礁サンゴは大きな攪乱を免れてきた。世界最大のサンゴ礁、オーストラリアのグレートバリアリーフでは、過去27年間で造礁サンゴが半減したという衝撃的な調査結果が示された。減少をもたらしたのはサンゴの白化現象による斃死、サイクロンによる破壊、大発生したオニヒトデによる食害だ。1997〜1998年、世界的規模のサンゴの白化現象が起きた。国内でも、沖縄を中心に大きな被害が見られた。また、オニヒトデの大発生による食害は、国内のほぼすべてのサンゴ礁海域で生じている。しかし、小笠原は白化被害、オニヒトデ被害ともにみられない希有な海域であった。サンゴ礁の規模は小さいが、太平洋にポツンと浮かぶ楽園だ。 しかし2009年の夏、聟島列島、父島列島、母島列島におよぶ南北100キロの小笠原の島々で、大規模な白化現象が起きてしまった。父島周辺では、二見湾奥のスギノキミドリイシ群集に最も大きな被害が生じた。私たちの調査データでは、それまで海底の90%を覆っていたスギノキミドリイシの大群集が55小さな楽園2009年の大規模白化小さな楽園の未来サンゴが支える生態系ナガレハナサンゴの一種と砂地の斜面。ナガレハナサンゴの触手は先端が広がり特徴的な形をしている。父島二見湾奥に広がるスギノキミドリイシ。小笠原ではここでしか見ることができない。死んだサンゴを裏返すと、カラフルな海綿類やホヤ類などがびっしりと固着する小さな世界が現れる。写真中央の貝はカノコダカラというタカラガイの仲間。上:2009年8月の二見湾奥。スギノキミドリイシの大部分が白化しているが、まだ生きている。下:2009年10月の二見湾奥。死んだスギノキミドリイシは藻類に覆われて褐色に見える。187

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