雑誌「チルチンびと」78号掲載 小笠原からの手紙
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南崎  母島に南崎という小さな半島がある。 突端の小富士に登ると、開け放った青 空の下、丸い水平線に妹島、姉島など の母島属島が連なり、吹き上げる潮風 をうけて、青い世界に浮いている気分 だ。「海鳥が高く低く飛んでいる♪」当 地を歌った母島の合唱曲のままに、海 鳥たちは海空に溶けて、訪れる人の気 持ちにしみいる絶景の一部となっている。 南崎の小さな海鳥の楽園は、有人島に 残る大型海鳥の繁殖地として、希有な 存在だった。バードアイランド母島の 面目躍如、日本野鳥百景にも選ばれ、 なにより多くの島民に愛されてきた。 異変  南崎異変の報を受け、私たちが現地 入りしたのは2005年の春だった。潮 騒にゆれる草に埋もれて、海鳥の死体 が見つかった。命を紡ぐ親鳥たちの姿 はなく、調査の度に死体ばかりが増えた。 設置した自動撮影機には、翼を広げる と1・5メートルになるカツオドリの首 を咥えてガッチリと押さえ込んでいるネ コの姿があった。大型海鳥を完璧に捕 らえる衝撃的なシーンは、小さな楽園 の崩壊と、ネコに勝てる野生動物が小 笠原にはいないことを示していた。同 時に、きれいごとではすまされない自 然との共生という現実問題が、美しい 風景の中でふってきた。 猫と小笠原  海洋島である小笠原は、一度も他の 大陸とつながったことがないため(註1)、 地上を歩くイタチ、キツネなどはたど り着けず、生物相から地上を徘徊する 捕食性のほ乳類を欠いていた。小笠原 の固有鳥やオガサワラオオコウモリが 「警戒心がない」と言われるのはこのた めだが、むしろ積極的に危険の少ない 地上を利用するように進化してきたと も考えられる。小笠原の数万年の自然 史で見れば、ネコはつい昨日、突然に 出現した地上捕食者だ。同じく人とや ってきた家畜であるヤギ、ブタなどと 共に野生化する力が強く、小さな小笠 原の島々に拡がっていった。人とともに 本来は海洋島にいない生き物たちが出 現してから、わずか200年弱の間に多 くの生物が絶滅し、その危機は今に続 いている。絶滅した固有鳥は、主に地 上で暮らすものばかりだった。 海鳥たちの小笠原  海鳥たちは繁殖期になると地上に降 りる。南崎では、地表と地中(穴)に 巣をつくるカツオドリとミズナギドリが 繁殖していた(註2)。ペアができると産 卵し、雌雄交代で昼夜なく温め、ヒナ がかえると海から餌を運び続ける。子 育ては晩春から台風シーズンを越えて クリスマス前まで続く。大変な手間が かかるのに巣立つのは年に1羽程度だ。 そのかわり親鳥は10.20年以上を生き る。子育てが終わると彼らは大海原の 住人に戻るが、毎年かならず約束の地 に帰ってくる。これを数十年続けて命 をつないでいく。南崎では、産卵前の 親鳥が次々と食べられていた。それは 繁殖地消滅の危機を意味していた。小 笠原の多くの海鳥にとって繁殖地は文 字通り母なる島なのだ。ましてや、こ れまで紹介してきたアカガシラカラスバ ト、オガサワラオオコウモリなど(註3)、 小笠原固有の陸上動物にとっては 〝代 わりのない〟唯一無二の住処なのだ。 今日見過ごせば明日失われる  私たちは、小笠原で生物を学ぶ者と して、野生動物と人が連れてきたネコ の位置づけは理解していた。知識から わかることは一つ。このままでは南崎の 繁殖地が消滅する、そしてネコを排除 するしか海鳥を守る方法がない、とい うことだった。しかし、実際に目の前 で起きていること 〝今日見過ごせば、明 日失われる〟 出来事に対して、頭の理 解や机上の整理は力にならなかった。  実は、小笠原は日本のネコ対策の先 駆けだった。飼い猫から生じたノラネコ の問題に苦しんでいた小笠原村では、 南崎の出来事から約10年も前に、日本 で最も早く飼い猫の登録条例をつくっ た。母島のシンボル、ハハジマメグロの 捕食もその一因だ。ネコ対策の先進地 で少しずつ事態はよくなっているはず ……だった。しかし、人里離れた半島 には想像力が及ばず、何の術も持って いなかった。それでも、ともかく南崎 に入り込むネコを捕獲するしかないと、 私たちは捕獲箱を持った。しかし、捕 まえられても繁殖地を覚えたネコの行 き先は、小さな島のどこにもない。そ してネコは数頭レベルではないだろう。 今守っても海鳥は来年以降も繁殖地に 戻ってくる。この時、堂々巡りの思考 の中で、各地で繰り返されてきた迷宮 の入り口に踏み込みかけていた。 誰も言わなかった一言  私たちは東京都獣医師会へ電話をか けた。「ネコの安楽死の方法を教えて欲 しい」。滅茶苦茶な話だが、藁にもすが る思いだった。南の島からの唐突で乱 暴な相談にもかかわらず事情を問われ た。直面している問題と背景、厳しい 批判があっても自分たちがやると決心 したことなどを説明した。「自分たちは 獣医師で動物の命を救う仕事をしてい る。希少な海鳥を守るためとはいえ、 ネコを安楽死させることに協力はでき ない」ハッキリした答えだった。その通 りだと思い言葉が出なかった。なんと かお礼をと思った時、「それならば…… 捕獲したネコをこちら(東京)に送って ください」と聞こえた。耳を疑った。「海 鳥だけではなく、ネコも救いましょう」。 それは誰からも聞いたことがない言葉だ った。        (後編につづく) 註1 海洋島については本誌71号参照。 註2 海鳥については本誌77号ほか参照。 註3 固有種については本誌71・72号参照。

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