雑誌「チルチンびと」73号掲載 小笠原からの手紙
2/2

 小笠原諸島にはタカの一種が生息し ている。その名をオガサワラノスリと いう。ノスリは世界各地に分布してい るが、ガラパゴスノスリは、一夫多妻 で繁殖する珍しい習性を持ち、イグア ナをも捕食する大型のハンターだ。ま たハワイノスリは、同じ種の中に黒型 と白型の2種類の体色がありユニーク だ。われらがオガサワラノスリは、ど んな鳥なのだろうか?  オガサワラノスリは、〝ノスリらし い〟風貌をしている。北海道から九州 には隣接亜種のノスリが生息している が、それより白っぽく小型にしたのが オガサワラノスリだ。大きな黒い眼に ふっくらとした体つき、翼と尾は広げ ると優美な弧を描く。やさしげな風貌 と対照的に、獲物を捉える脚は逞 たくま しい。  小笠原は風が強い。冬場や季節の変 わり目には、強い風が一日中吹き続け る。その中を、彼らは軽々と飛ぶ。い や、浮かぶ。まるで見えないピンで止 められているかのように、空中の一点 に静止して動かない。餌を探している のだ。望遠鏡で覗けば、止まり続ける ために彼らが精妙なダンスを踊ってい るのがわかる。吹きつける風に合わせ て、翼と尾の傾きと広げ具合を調整し 続ける。時折、首を巡らせ、空中にい るほかのノスリの位置を見定める。そ して獲物が見つからなければ、空中を 滑るように移動する。移動、静止、移 動、静止。獲物を見つけて降りてゆく 時、逞しい両脚はめいっぱい伸ばされ、 地上の獲物をしっかりと.み、押さえ つける。  風のない時も、彼らは空にいる。強 い日差しが生みだす上昇気流をつかま えて、輪を描きながら高く高く昇って ゆく。餌を探す必要のない時もしばし ば空にいる。なぜなのだろう?  オガサワラノスリは、数が少ないこ とにかけては、アカガシラカラスバト やオガサワラオオコウモリに匹敵する。 その数200羽は超えない。生息範囲 は父島列島と母島列島だけである。天 然記念物に指定される立派な〝絶滅危 惧種〟だ。しかし、それぞれの島の中 では、高い密度で生息する。1平方キ ロメートルに1つがい 4 4 4 以上が暮らす中 型猛 もう 禽 きん 類は、世界でもそうはいない。 縄張りは、島の隅々まで広がっている。 縄張りの主は、常に自分の縄張りを見 張り、占有権を主張し続けなければな らない。それが、オガサワラノスリが よく空に浮かぶ理由の一つだろう。縄 張りは、谷一つという具合に、たいて い地形で決まっている。それは地上に とどまらず、空に向かって伸びていて、 彼らの見えない境界が、島の天地を区 切っているのだ。  さて。彼らの居住域に侵入して、記 飛ぶ・狩る・守る ノスリを観るということ 人のもたらす変化のさなか 録をとるのが私の仕事だ。羽色を手掛 かりに個体識別し、飛び立ってから止 まるまでのルート、狩りをしたポイン トなどを白地図に書きとめ、出現時刻、 名前、行動.「鳴いた」やら「蹴っ た」やらを野帳に書きとめる。プロフ ィール写真と生態写真を撮る。巣も探 すし、交尾も数える。巣立ちした雛を 探す。さながらストーカーだ。彼らの 生活を知り保全に生かすために。 「最近増えてる気がするよ」「この頃全 然見ないよ」などと教えてくれる人た ちがいる。空を見上げる習慣がある人 たちだ。ノスリは、縄張りを主張した り雛の餌を探して飛びまわっている冬 から春によく目につき、繁殖期を終え 一息いれる夏には、ひっそりと見えな くなる。若鳥がたまたま街場に居つく と目撃が増える。若鳥は、電柱や電線、 集合住宅の屋上などにもよく止まる。 サーファーの友人は、早朝、波の様子 を偵察するため島を車で回るときがノ スリの観察時間だと教えてくれた。人 びとがまだ動き出さない時間帯に、路 傍で狩りをするノスリがいるからだ。  オガサワラノスリは、小笠原諸島の 固有亜種だ。父島で目にする陸の鳥で は、アカガシラカラスバト、オガサワ ラヒヨドリ、ハシナガウグイスが固有 亜種。イソヒヨドリ、トラツグミが広 域分布種。集団でいるのをよく見かけ るメジロは、人が持ち込んだ外来種だ。 これらの区別は、昨今の小笠原では特 に重要である。メジロこそ駆除されな いが、海鳥、カタツムリ、希少植物な どの存続を危うくする外来のネズミ、 ネコ、ヤギなどは、現在懸命に駆除さ れている。 「で、ノスリは減ってるの? 増えて るの?」。その答えは「監視中」。世界 遺産指定と、それにともなう外来種駆 除は、主要な餌が外来種であるオガサ ワラノスリにとって逆風だ。特にネズ ミ類の根絶は大きな影響を与えている。 本来の餌を捕りたくとも、すでに小笠 原から消え去ってしまったか、とても 少なくなってしまっている。戻りたく ても戻れない。人が住みつくことによ って小笠原の自然に与えた変化とは、 そういうものだ。  神経質なオガサワラノスリは人目を 気にして繁殖に失敗するので、営巣地 保護のため、一部の登山ルートには立 ち入り制限がかけられている。  でも、小笠原に来る機会があれば、 時々、空を見上げて欲しい。日差しの まぶしい浜辺でも、人の行き交う街場 でも、風の吹き抜ける山の展望台でも。 オガサワラノスリがポツンと浮かんで いるかもしれない。彼らこそは、人が 移り住んでくるずっと前から小笠原の 空に浮かんでいた「空の番人」だ。い つもその大きな目で、生き抜く道を探 している。

元のページ  ../index.html#2

このブックを見る