雑誌「チルチンびと」81号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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9上:バッキー自慢の場所へ案内してもらった。伊香立生津町の家並みを見渡せる棚田だ。向こうに比良山地の山々が続いている。 下:小4のめいちゃん、中2のユロ君、奥さんの可奈さんが、僕らの訪問を出迎えてくれた。 いつも我が家の植木を手入れしてくれる造園家のバッキーこと椿つばきの野晋平さんは、大原からひと山越えた滋賀県大津市伊い香か立だちに住んでいる。比叡山から北に延びる山々の裾野に広がる伊香立は、琵琶湖を見おろす棚田が開けた歴史ある農村だ。椿野一家は、天保3(1832)年につくられた築182年の古民家に自分たちで手を加えて暮らしている。 以前、椿野家を訪ねたベニシアによると「自然体って言うんかなあ。家はそのまま、ありのままで、ちょっと寂びた感じ。お金はあまりかけていないけど、カッコイイ。きっと今の若い人が好きそうなスタイルの一つなんやろうね」。なんか僕には分かりにくいことを言うなあとは思いつつ、彼らがどんな工夫をこらして暮らしているのかぜひ見たい。椿野家を訪ねてみることにした。 5月の晴れて爽やかな日曜日の朝。椿野家の親子4人が揃って僕たちを笑顔で迎えてくれた。庭の中央にバッキーがしつらえたガーデンテーブルを囲んで、お茶をごちそうになる。 バッキーは「庭椿」の屋号で造園業を営んでいる。97年から4年間、京都造形芸術大学で環境デザインを勉強していたときに、大学の教師で造園家のマーク・ピーター・キーンと出会った。マークはベニシアの友人で、彼女にハーブガーデンづくりを勧めてくれたアメリカ人である。そういう関係で、バッキーも我が家に顔を出すようになっていた。 バッキーは、同じ大学で芸術学を勉強していた可奈さんと出会い、結婚。2004年はバッキーが育った町である大津市堅かた田たの、にぎやかな商店街のある通りで暮らしていた。やがて夫妻は、静かな田舎の古民家で生活したいと思うようになったらしい。ベニシアと僕の大原での暮らしを見たことも、一つの刺激になったそうだ。そう言われて、僕はちょっと嬉しい気分。堅田からは近いが、田舎暮らしができる伊香立とその隣村の仰おお木ぎ一帯に目を付けて、彼らは家を探し始めた。  椿野夫妻は、まず、お目当ての村の中を歩いて、空いていそうな家を見つけると近所の人に尋ねた。「この家は空き家ですか? 持ち主はどこにお住まいですか?」。不動産屋を頼らず、直接家を探して交渉するという原始的で個性的なやり方。1年間に30軒ほど見たあとで、ようやく今の家に出会うことができた。 その家の持ち主は、車で1時間ほどかかる別の町に住んでいた。その家で暮らしていたのは、父親であったらしい。しかし、10年前に亡くなってからは、ずっと人が住んでおらず、たまに持ち主が草刈りに来るぐらいだった。家を借りたいというバッキーに、貸すために家を修理しないが、自分で直して住むなら家賃はいらないと言ってくれたそうだ。 バッキーは庭と家の中をぐるりと歩いて探して、ようやく見つけた古民家朽ちかけた家から、快適な住まいに。自分で直した1年間

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