雑誌「チルチンびと」78号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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(35歳)は、前号で紹介した庭園設計士マーク・ピーター・キーンが大学で教えた環境デザイン学科の生徒だった。学生の頃から、我が家の庭仕事に来ていたが、卒業後は京都と滋賀・坂本の造園会社で約5年間修業して独立した。以前は僕が自宅の樹木の剪定をやっていたのに、バキがベニシアのお気に入りになってから住まいと人びとの輪……大きな家族もう一人の家族であるヤモリ君。家に住みつく害虫を食べてくれるので「家守」と言われている。 今回は、僕の家族のことについて少し書いてみよう。僕もベニシアも、初めての結婚ではなく、二度目である。ベニシアには前夫との間に娘が二人、息子が一人、そして二人の孫がいる。そして僕との間には悠仁がいる。 一昨年大学に入った悠仁は別居するようになり、もうすぐ次女のジュリーと孫の浄じょうがここに引っ越してくることになった。 14年前、ジュリーは浄の出産後に突然、統合失調症を発症した。浄の父親は、出産日までに戻ると約束していたのに所在不明が続き、ジュリーは不安な日々のうちに出産。発症原因の中には、妊娠中の大きなストレスがあるという。その後、彼は現れたが、結婚することなく母国のイスラエルに戻った。ベニシアはジュリーと一緒に暮らしたい想いだが、8年前、ジュリーと一度同居したときに、僕は家を出た経緯がある。 精神疾患を持つ人とその家族は、世の偏見の目を気にして病気を隠そうとするのが一般的なようだが、ベニシアはそうしていない。患者やその家族たちと一緒に、治療に関する情報などを分かち合いたいと考えてシアは誰かと一緒にしたいという。もしも手伝ってくれる人がいないと、仕事も日常生活もなかなかスムーズに回らない現実もある。  前まえ田だ敏とし子こさん(72歳)は、ジュリーが小学校低学年の頃から今年で27年もの間、家事やベニシアの英会話学校を手伝いに、京都の岩倉から通っている。かつては、日本の習慣なは、僕の日曜植木屋は廃業してしまった。今は、大原からひと山越えた琵琶湖側にある伊い香か立だちに築250年の古民家を見つけて、奥さんと二人でコツコツと手を入れて、田舎暮らしを楽しんでいる。 最後に、我が家のガーデニングを手伝ってくれる、ノリちゃんこと辻つじ典のり子こさんについて。彼女が幼い頃から僕はノリちゃんを知っている。大原にある金比羅山という岩山へ35年前から岩登りに通っていた僕は、山麓にある酒屋の幼い看板娘を覚えている。大原朝市で野花を売っていたノリちゃんにベニシアが声をかけたのは約10年前。ベニシアが催していたティパーティーのスタッフをお願いすることにした。テーブルセッティングのために花を活けてもらったら、あまりに上手なのでびっくり。聞けば日本フラワーデザイナー協会講師の資格を持っているという。それ以来、我が家の花とハーブの手入れは、ノリちゃんに頼むようになった。いまはほかの仕事もやっているが、将来的には花の仕事で生きていきたいそうだ。 僕にとって、ベニシアや悠仁、ジュリーや浄だけが家族ではなく、ここの暮らしに関わってくれる前田さんやバキやノリちゃんも「大きな家族」の一員だと思っている。いるからだ。日本の医療や行政は、その方面に関して、欧米諸国に一歩先を譲っているようだ。だんだんと僕もジュリーの病気を理解しようと考えるようになり、近頃ようやく同居を受け入れることにしたのだ。 僕たち家族は、多くの人びとに支えられて生活している。いつも楽しく仕事や家事をやりたいので、ベニどあまり知らなかったベニシアに、「トイレと台所の雑巾は、別々に分けて使うように!」など細かなことをひとつずつ教えてくれた人だ。「ベニシアの日本の母」だと僕は思っている。水彩画を描くことが好きで、大原に咲く野の花などを摘んで、絵にすることが楽しみだそうだ。 造園家のバキこと椿つばき野の晋しん平ぺいさん14

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