雑誌「チルチンびと」77号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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とだと思います。また、庭があるその 土地の植物を育てるのがいいんじゃな いでしょうか。その土地の植物は、そ この自然に合っているから育てやすい し、目にも馴染みます。また、その家 に合った庭、家だけでなくそこを取り 巻く村や町の風土、環境、歴史や文化 に合わせて、違和感が出ないよう庭を 溶け込ますことも考えつつ、自分の庭 と取り組んでいきたいですね……」と ベニシアは話した。  僕はドキドキしながらテレビを見て いた。日本中でテレビを見ている人の 前で、恥をかかないようにと心配して いた。しかし、この話を聞いて、ベニ シアはちゃんと考えて庭に取り組んで いるんだなと僕は感心した。また、コ ンテスト主催者側 が庭のオーナーに 語らせたいことを 捉えて、ベニシア はうまく話してい ると僕は思った。 彼女はそれほど日 本語がうまいわけ ではなく、判らな い言葉も多いはず だ。なのに、その 場で話の流れや雰 囲気、人の心の動 きを的確に.むの が上手だと思った。  会場の様子はなにやら騒然となり、 急遽ベニシアが特別賞を戴くことにな った。ベニシアの語りがなければなか った特別賞のようだ。僕が彼女に求め た「ニコニコとおとなしく座って」い ればいい、ではなかったようだ。この コンテストで選ばれた庭は、ほとんど がイギリス風の庭だった。母体が日本 庭園なのはベニシアの庭だけであった。  このコンテスト受賞でベニシアはさ らにハーブとガーデニングにやる気を 出したようだ。彼女はハーブ教室を始 め、週に1度は 10 人ぐらいの奥さんた ちが我が家に集まるようになった。シ ャイな僕は奥さんたちに遠慮して、2 階の仕事部屋で息を殺していた。  ベニシアがハーブ教室を始めたのは 二つの理由があった。一つはベニシア が長年経営している英会話学校で、ハ ーブ教室はイベント的な意味があった し、ベニシアにとってハーブを教える ことは楽しい時間だった。もう一つの 理由は、ベニシアの長男の主慈がオッ クスフォード大学に合格したこと。英 国に住んでいる英国人ならば授業料が 安いが、ベニシアは日本で暮らしてい るので英国からサポートを得られない。 つまり、授業料がかなり高いのだ。彼 女は前夫との離婚後、子の養育費をも らっていない。とにかく学費捻出のた めに、ハーブ専門家になって少しでも 収入につなげる道を探りたいと思って いたのだ。そんな目的もあるガーデニ ングは趣味の域を越えて、苦労や執念 も見え、「鬼のガーデニング」と僕は批 評した。  やがて5年が流れ、2007 年に彼 女にとって初めての単行本『ベニシア のハーブ便り』(世界文化社)を出版 することになった。庭やハーブの撮影 やベニシアの英文の翻訳などで僕もず いぶんと手伝わされることになった。 でも、そのおかげでようやく写真家と して、僕もまともに飯を食えるように なった。好きな登山雑誌の仕事だけで は、充分に食えなかったのだ。やがて 出版した本は、ハーブの本部門ではベ ストセラーとなった。これはベニシア が、がんばった成果だと思っている。 それからどういうわけか勢いがついて、 エッセイ本やDVD ブックなどが出版 されることに。また、テレビドキュメ ント番組NHKBS「猫のしっぽカエ ルの手(京都大原ベニシアの手づくり 暮らし)」に、ベニシアが出演し、我 が家がその舞台になった。この番組は 4年間続いて、今に至っている。  趣味で始めたベニシアのガーデニン グが、趣味の枠を越えて、やがて仕事 につながる波となった。でもこれから ベニシアは、ゆったりと静かにガーデ ニングを楽しみたいと言っている。た まには僕も手伝おう。 上/ベニシアと一緒にベジタブル・ガーデンの手入れをす るフラワー・デザイナーの辻典子(つじのりこ)さん。  下/満開のツクシイバラをテラスに飾った。  ハーブが仕事につながっていく 14

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