雑誌「チルチンびと」77号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて 梶山正
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ハーブ・ガーデンから 起きた波  今回は短いけれどいろいろあった我 が家の庭の歴史を振り返ってみようと 思う。妻のベニシアがハーブ・ガーデ ンを始めた経緯や、またその庭を通じ て僕たちの生活がどう変化したのかを 書いてみようと思う。   大原に住み始めて1年ほどで、やる べき主な家の改修工事をやり終えた。 始めて間もない僕の本業、写真撮影の 仕事は進展していなかったが、趣味の 登山は復活していた。  ベニシアはガーデニングを始めよう としていた。打ち込める趣味を探して いたようだ。庭がベニシアの趣味で生 き甲斐になればいい。僕は自分が中心 になって庭仕事をするつもりはなかっ た。一緒に庭仕事をすると、おそらく 僕はベニシアと意見が対立するだろう。 それは避けたい。僕には登山があり、 山という大きな自然の庭がある。ベニ シアにとって我が家の庭が、そんな位 置づけになればいいと僕は思っていた。  「どんな庭を作ろうか……」とベニシ アが考えていた頃、彼女の友人マーク・ ピーター・キーンと奥さんの桃子さんが、 我が家のすぐ近くに共同農園を借りて 野菜づくりを始めた。彼らは京都市街 地に住んでいたが、畑を借りたことで 週末にはよく遊びに来るようになった。  その頃、イングリッシュ・ガーデン が日本女性にとってブームとなってい た。当然イギリス人のベニシアは、イ ングリッシュ・ガーデンをつくるのだ ろうと僕は思っていた。ある日、マー クがベニシアに こんな提案をし た。 「ハーブを育て て、ハーブの使 い方を人に教え るってどう?」 「でも、私は教 えることができ るほどハーブに 詳しくはない よ」 「西洋人なら子どもの時からハーブを 料理などに使っているでしょう。そう いう実際の生活に関わるハーブの使い 方など、日本の女性は知りたいんじゃ ない?」  とはいえハーブ・ガーデンをつくる にしても、元からこの庭にある庭木と 庭石は、動かさずにそのまま残したほ うがいいというマークの意見。 「ハーブや草花だけを植えた庭だと、 冬の間にそれらは枯れてしまうでしょ う。そうなると庭で冬に見るべきもの が無くなってしまう。冬の間、庭木と 庭石は庭の重要な視覚的ポイントにな るし、この庭をデザインした庭師さんは、 ちゃんと考えてそれらを配置している のだから」。  そういう会話を聞いて、僕は正直あ まりいい気持ちではなかった。偏狭な 思いだが、日本 人の僕が日本庭 園の見方をアメ リカ人から説明 されたくなかっ たのだ。ところ が、その後マー クの仕事が日本 庭園の設計者だ と知る。また、 日本庭園のデザ インと文化的背 景を欧米人に向けて説明した書籍 『Japanese Garden Design』( 96 年、英、 仏、独で出版)の著者でもあった。つ まり、彼は日本庭園の専門家だったわ けだ。  マークに従ったわけではないが、ベ ニシアはいろいろ考えつつ、とにかく ハーブを庭に植え始めた。彼女のガー デニング熱はどんどん高まり、6年後 の2002 年には「NHK 私のアイ デア ガーデニング コンテスト」に応 募してみた。すると最終選考 25 の庭に、 ベニシアの庭も残っていた。現在彼女 はテレビにも出るようになったが、そ の頃は無名の外人のおばさんにすぎな かった。東京のNHK スタジオへ授賞 式に向かうベニシアに、こう言って僕 は見送った。 「あまり余計なことを喋らないでね。 ニコニコとおとなしく座っていれば、 無事に式は終わるでしょう」。  その日の午後、授賞式の様子が生中 継され、僕は茶の間でテレビを見てい た。テレビに映し出された最終選考で 残った庭はどれも素晴らしく美しいと 思った。テレビの画面で映し出された ベニシアは、僕の願いどおり静かに座 っていた。数人の審査員たちと選考に 残った庭のオーナーとの会話が続く。 そのうちベニシアにマイクが向けられ た。 「日本に昔からある花を庭に植えたい ですね。キキョウやホトトギス、フジ バカマやキクなど。日本の花を植えな いと、そのうち少しずつ減って、やが て消えていくかもしれません。日本の 花を守り土を守るということも、自分 の庭をやりながら同時に考えるべきこ ガーデニングコンテストに入賞 10

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