雑誌「チルチンびと」63号掲載 京都大原の山里に暮らし始めて
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P4 もとは、杉苔に覆われ、庭石が置かれていた日本庭園は、庭好きなベニシアの手により、和洋折衷のハーブガーデンに生まれ変わった。 京都市一乗寺のベニシアの家に僕が転がり込んだのは、1992年の1月のことだ。その頃の僕はインド料理店でカレーをつくる毎日だったが、写真家になることを夢見ていた。 ベニシアは英会話教室を経営し、英会話を日本人の生徒さんに教えていた。二人は〝バツイチ.だった。   ベニシアは3人の子の母親でもあった。上の二人は海外の高校に留学していたが、末っ子の主慈(しゅうじ) は自宅から国際学校へ通っていた。そこに僕が加わり、新たな生活が始まったわけだが、高校生になると主慈は一人でアパートに暮らし始めた。 僕とベニシアは籍を入れ、93年には僕の最初の子であり、ベニシアにとっては4人目の子、悠仁が生まれた。一乗寺の家は比叡山の西麓、曼殊院や鷺森神社のある自然豊かなところにあった。僕たちは歩き始めたばかりの悠仁を連れて、毎日のように家の周辺を散歩した。そんな 4月のある日、家主さんから連絡があった。 「家を使う予定があるので、1年以内に明け渡すように!」と。 翌日から僕たちは借家探しのため不動産屋巡りを始めた。希望の借家は郊外の自然豊かで静かなところ。「家はすぐに見つかるだろう」と僕 しっとりとした秋の彩りを見せる庭の 植物たち。写真上より時計回りに/木 イチゴの実。 /イギリスでは生け垣に よく使われるサンザシ。 /花の後のシ ュウメイギク。 /メキシコ原産のメキ シカンブッシュセージ。

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