雑誌「チルチンびと」 脱原発のために私たちができること「ドイツ、スイスに学ぶ脱原発都市の実践」
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190 いちはやく脱原発を宣言 したドイツ。エネルギー シフトに拍車のかかるス イス。これらの国をそっ くり真似ることはできな いが、どこか学べるもの はないか。ドイツの日本 人留学生を中心にした環 境グループのメンバーに 見聞きしたことをレポー トしてもらう。 文・写真=エコ・フライヴィリヒ(1章/熊崎実佳、2~5章/安部由美子) ドイツ、スイスに学ぶ 脱原発都市の実践 子どもにやさしく、エコロジカルに 住民と市が一緒につくり上げた住宅地ヴォーバンに見る居住空間のあり方 1  いちばんよく耳にするのは、子どもたち が遊びはしゃぐ声と鳥のさえずり、そして 時折り通る路面電車の音。それも、軌道の ほぼすべてが緑化されているので、わずか に残されたアスファルト上を走る時だけ。 大きな街路樹が涼しげな陰を落とし、行き 交う人々が笑顔で挨拶を交わす。絵に描い たような住宅地がここドイツ・フライブル ク市のヴォーバン地区にある。 フライブルクの原点  フランス、スイスとの国境にも近いドイ ツ南西端に位置するフライブルクは、「黒 い森」に面した緑豊かな街。 22 万5000 人が暮らす中規模の都市だが、大きな産業 はなく、もしかしたら世界の多くの人が生 涯耳にすることのない一地方都市に留まっ ていたかもしれない。この地域で原子力発 電所の建設が計画されずにいれば――。  今日フライブルクは「グリーンシティ」 という、世界的な名声を誇っているが、そ の原点は、北西に約 25 キロ離れた小さな村 ヴィールにつくられようとした原発建設計 画にさかのぼる。  1970年代当時、建設予定地を占拠し たりして反対運動を繰り広げていた市民の 間から、「ただ単に反対(NO)を唱える だけでなく、原発を代替できるエネルギー 源への賛同(YES)を示そう」という動 きが起こった。  市民が自分たちの手でソーラーパネルを 屋根にとりつけたり、太陽エネルギーに関 する見本市を開催したりしているうちに、 電力への関心が地域住民の間に着実に根を 張っていき、チェルノブイリの原発事故が 起きた1986年には、「脱原発方針」や「再 生可能エネルギーの促進」という市のコン セプトが決定された。  そして冷戦が終わった1992年、どう すれば持続可能な社会が実現できるかを模 索していた市民たちに、大きなチャンスが 訪れる。  それまでフランス軍が駐在していた 「ヴォーバン兵営地」の土地が市に返還さ れたのだ。 省エネルギー型の街づくり・家づくり  ヴォーバン地区は、ドイツ版の新幹線IC Eも停まるフライブルク駅から路面電車で15 分ほどのところにある。41ヘクタールの土地 に約5000人が住み、人口密度は東京都の 港区より多いぐらいだが、非常に多い緑地面 積と、対照的に実に少ない車交通が相まって、 ゆったりとした居心地のよい空間が広がって いる。  1990年代、住民参加型の街づくりを フライブルク市が掲げたこともあり、アイ デアと熱意を持ったたくさんの市民がこの 地区の造成に力を尽くした。路上で子ども たちが安心して遊べると同時に、公共交通 や自転車の利用を促す「車通りのない居住 区」。ビオトープとしても重要な役割を果 たす五つの大きな緑地公園。雨水を下水管 で回収するのではなく直接地下へ浸透させ

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